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http //yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1273071103/772-775 「京介どの、それは何を見てるのでござるか?」 俺の自室で@ω@の顔を作りながら沙織が何の気無しに聞いてきた。 今日は何かの都合か黒猫はいない。桐乃はモデルだとか。 すると部屋には俺と沙織の二人っきりであるのだが、特別俺の方からは意識はしていない。 全くない、といえばもちろんウソになるのだが、「この」沙織はおそらく俺の知り合いの少女達の中で最も自然体で話せるやつだ。 つい先日その素顔と本質を知ったときは良い意味で驚愕したが、それはそれとしてこの少女は気配りや配慮を欠かさない常識人であることは俺が―俺達がよく知っている。…たまにズレた答えを返すこともあるが。 ゆえに、沙織と二人っきりで居てもよくも悪くも俺は男の親友感覚で話せるのである。 「単語帳だよ」 前置きが長くなったが、俺はこの猫口娘にややそっけなさげに答えた。 「英単語でござるか?」 「ああ。俺も受験生の端くれなんでな」 「左様でござるか」 沙織はωを崩さずに頬に人差し指を当てた。 「なら、拙者が読んでご覧にいれよう。拙者、これでも英語は得意なのでござるよ」 「ほう?」 それは初耳だが、何となく得心できる話だ。なにせあれだけの屋敷をもつブルジョワなら何かしらの英才教育がされていてもおかしくはない。 「こういうものはえてして二人でやった方がはかどるでござろう?」 「違いないな。じゃあ頼もうかな」 そう言ってカードの束を沙織に渡そうと手を伸ばそうとした瞬間、京介にちょっとした悪戯心が働いた。本当に大した考えはなかったのだが。 「じゃあこれ取りに来てな」 「む、座ってるレディーを動かすとは関心しませんな。最近の京介どのは怠惰で困る」 どこかの尖兵のような言葉を吐きながらも取りに来てくれるこいつは本当にいい女だと思う。桐乃だったら徹底的な罵声が飛んできているところだ。 俺は沙織が近付いて伸ばしてきた手に手を重ねると見せかけて、腕の勢いを殺さずさらに上へと向けた。狙いは、沙織の眼鏡だ! 水鳥のように流れる動きで俺の右手は沙織の眼鏡を搦め捕り、ついでに空いていた左手に単語帳を移し替えて沙織に握らせた。 @ω@から@が外され、その端正な顔が顕わになる。ωのままで。 「え…ぁ…」 沙織も俺がこんなことをするとは思っていなかったのか、頬の緩みが少しずつ消え、対比して瞳が潤み顔が紅潮していった。 (やばっ、怒ってる!?でもやっぱ沙織って綺麗だよなぁ…) あまりに上手く行きすぎた反動か気が緩んだのか、京介は後半部分を無意識に声に出してしまっていた。沙織の羞恥心がさらに膨れ上がる。 そして爆発。 「きょ、きょ、京介さんっ!わ、私にっ――」 眼鏡を、と言おうとする前に身を乗り出した沙織に、ほぼ放心状態だった京介はそのまま座っていたベッドに横になるように押し倒された。ついでに豊満な胸元に顔を挟まれる格好になる。 「………」 「………」 思いもよらぬ事態に、二人は互いに見つめ合ったまま固まってしまった。
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215 名前:【SS】:2014/03/15(土) 00 26 42.65 ID zOv3MA0L0 俺の妹がこんなにエロゲーなわけがない~逆襲の秋美~ホワイトデー編 あの卒業式の日から2週間ほどが過ぎた。『約束』によって恋人期間を終了した俺と桐乃だったが、 その後の『人生相談』で、とりあえず恋人期間を延長することになった。 いきさつはまた別の機会に語る事にする。なにしろ今は――― ピンポーン 桐乃「誰か来たみたい」 京介「そうみたいだな」 桐乃「みたいだなじゃなくて早く出てよ」 京介「え~、桐乃と離れるのやだよ」 ピンポーンピンポーンピンポーン 桐乃「ば、バカな事言ってないで早く出ろっての!」 京介「へいへい」 俺は桐乃の部屋を出て階段を下りる。 くそっ、今日は親父もお袋もいないから、桐乃と二人きりで『お布団デート』を満喫していたというのに…………。 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン! 京介「はいはい」 誰だ?こんな朝っぱらから……。鳴らし方からして宅急便の類いではなさそうだが……。 俺はドアをそっと開ける。 そこには――― ―――白クマがいた。 バタン!ガチャリ ドアを勢いよく閉じ、即刻カギを掛ける。 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピンポーン!! 高橋名人ばりの連打と共にドアの向こうから、う~~~~が~~~~~~~~っ!という声が聞こえる。 間違いなく変質者である。よし!あやせに通報だ。 携帯を取りに戻ろうとしたところで更に叫び声が聞こえてきた。 秋美「人を呼び付けておいてこの仕打ちはなんだこらぁ!!!!」 京介「誰も呼んでねーよ」 秋美「呼ばれたんだよ!キミの!妹に!」 京介「桐乃~、白クマが来てるぞ。呼んだのか?」 騒がしいのが気になったのか、桐乃が玄関まで下りてきた。 桐乃「シロクマ?呼んでないケド?」 秋美「白クマじゃねーよ!フェレット!ホワイトフェレット!!」 わからん……。どう見ても白クマだろ、あれ。いつものくまさんが真っ白になっただけじゃねーの? ……まあどっちでもいいか。それより近所迷惑になりそうだから、そろそろ入れてやるか。 ガチャ 京介「入っていいぞ」 秋美「お…おじゃましまーす」 桐乃「なんだ、櫻井さんじゃん。いらっしゃーい」 秋美「よ、きりりん氏。」 桐乃「てゆーか櫻井さん、今日はシロクマなんだ」 秋美「だ~か~ら!ホワイトフェレットだっつーの!!そこ重要だから!」 桐乃「ふーん。で、なんでホワイトフェレットなワケ?」 秋美「よくぞ聞いてくれました!今日はホワイトデーなので、ので!本日限定特別仕様、ホワイトフェレット秋美ちゃんですっ♪」 相変わらず残念なヤツだ。つか、こんな格好で俺ん家来るのやめてくんねーかなぁ……。 とりあえず玄関じゃあれなので櫻井をリビングに通す。 秋美「とゆーわけで高坂、あたしにホワイトデーのお返しちょーだい(はあと)」 京介「なにが『とゆーわけで』だ。俺、バレンタインにおまえから何も貰ってねえじゃねーか」 秋美「バレンタインは寝込んでたの!キミの妹のせいで!」 そういやこいつ、桐乃の手作りチョコレートの特訓に付き合わされてたんだっけ。 あんなに食わされてよく生きて帰ってこれたな……と、感心するが―― 京介「それがなんでおまえにホワイトデーのお返しするって話になるんだ?」 秋美「どうせキミ、妹からラブラブ愛情たっぷりのチョコレート貰ったんでしょ!」 桐乃「ちょ!ななななに言ってんの櫻井さん!?」 秋美「まっずーい試作品を食わされ続け……意識が……遠のく中、チョコを作りながら 『京介喜んでくれるかな~』とか!『京介美味しいって言っ――」 桐乃「わーわーわーわーっ!!」 慌てて櫻井の口を押さえる桐乃。 ヤバい……嬉しくて泣きそうだ。櫻井がいなければ今すぐに桐乃をぎゅっと優しく抱きしめるのに……。 秋美「…………うぐっ!……このブラコンが!とにかく!キミが貰ったバレンタインチョコはつまり!あたしときりりん氏の合作なのだっ! だからあたしには高坂からお返しを貰う権利がある!」 京介「……ものは言いようだな。確かに桐乃のチョコはめちゃくちゃ美味かった!おまえの功績を少なからず認めよう。 だが……さっきも言ったけど、今日おまえには何も用意してないから、また後日あらためてって事でいいか?」 秋美「フッ。そんなことだろうと思ってキミにとびっきりのスペシャルなプランを用意してきましたー」 京介「ほう……」 櫻井の妄想プランは時々ぶっ飛んじゃいるが、男子高校生のツボは押さえていて実は密かに期待していた。 ……あ、俺もう高校生じゃねーや。 桐乃「櫻井さんの妄想って京介ばっかり得するようになってるよね。いつもあたしが損してる気がするんだケド……」 秋美「そこは心配いりません。なんたってホワイトデー限定プランですから!彼女さんに満足いただけること請け合いですよ!」 桐乃「でもなぁ……」 桐乃、なぜ顔が赤い……?それに櫻井、おまえの為のプランじゃないのか?桐乃を勧誘してどうする。 秋美「このプラン、他にも検討中の方がいまして、今お見送りされますと他の彼女さんに決まってしまう可能性もございますが……」 あほか……。なんだこの流れ……。それに、そんな不動産販売の決まり文句をパクっただけの勧誘に桐乃が食いつくわけ―― 桐乃「じゃあ聞く」 食いついただと?!…………まあいい。ツッコミたいのは山々だが、櫻井のプランが気になるし桐乃も乗り気のようなのでスルーすることにしよう。 秋美「それではいきますよー。じゃーん!その名も『朝から晩までお姫様デート』!」 京介・桐乃「ほう…………」 秋美「キミたちは『お姫様デート』と聞いてなにを連想するかな?」 京介・桐乃「……………………姫初め?」 秋美「ちげーよっ!!このエロゲ脳兄妹がっ!!お姫様つったらあれしかないでしょ!」 桐乃「もったいぶらないで早く言ってよ」 秋美「おっけ。ちなみに今回は秋美ちゃん視点になってるよん。では…………」 想像してみてください――― 俺は頭の中に桐乃をイメージしながら櫻井の妄想に耳を傾ける。 朝。まどろみの中、あたしは包み込まれるような温かさに目を覚まします。 ふと横を見ると彼の顔がくっつきそうなくらい近くにあります。どうやら腕枕をされていたようです。 あたしはその心地良さに彼の胸に顔をうずめて匂いを嗅ぎます。とてもいい匂いです。 すると彼も目を覚まし、あたしの頭をそっとナデナデしてくれました。 あたしは幸せいっぱいな気持ちになり、彼にぎゅっと抱きつきます。 京介「……………………」 桐乃「……な、なんか具体的だけど『お布団デート』と変わんなくない?それにお姫様は?」 秋美「焦るでないきりりん氏。まだまだこれからですぞ!」 桐乃「……わかった。続けて」 秋美「ほいほいー」 このままずっと彼に密着していたいところですが、寝起きの顔を見られ続けるのと、 お口のエチケットが気になるので、洗面所に行くと告げ部屋を出ようとします。すると彼が 『俺にまかせろ』 と、あたしを抱きかかえました。いわゆるお姫様だっこです。 桐乃「お姫様だっこキタぁ!!」 秋美「そうです!これが『お姫様デート』の所以、全ての女子の夢!憧れ!お姫様だっこです!」 桐乃「櫻井さん、続き続き!」 秋美「ういういー」 『今日はホワイトデーだから俺が連れて行ってやるよ。あと、してほしいことがあったら何でも言ってくれ』 お姫様だっこされたあたしは彼に 『絶対離さないでよね』 と言うと彼は 『ああ、絶対離さない』 と。あたしは彼にそっと抱きつき身を委ねます。 そして部屋を出て階段を下りていきます。一段一段ゆっくりと慎重に。 その度にあたしは彼の首に巻き付けている腕の力をぎゅっと強めます。 無事階段を下り終わり、洗面所までたどり着きました。 名残惜しいけれど、だっこから降ろしてもらい、洗顔をします。 そして歯磨きをしようとしたところで彼が 『それ……俺にやらせてくれないか?』 『え……?歯磨き?京介が?あたしに?』 『ああ』 桐乃「……こ、これはまさかあの伝説の――」 秋美「ふっふっふ。そうこれがあの伝説の『阿良々木兄妹の歯磨きプレイ』!!」 桐乃「うひょーーーー!!火憐ちゃんktkr!!!!すっごーい!櫻井さん天っ才!!!!」 秋美「とーぜんっ!ホワイトデーだけに歯をホワイトにするプランだぁーーーっ!!」 桐乃「早く次!次!!」 秋美「あいあいー」 『…………いいよ』 『じゃあおまえの歯ブラシ貸してくれ』 『えっと……あたしのじゃなくて……京介の、使っていいから』 『俺の?』 『べ、別に間接キスしたいとかそんなんじゃなくて!磨いてもらうからにはちゃんとして欲しいからさ、 いつも使い慣れてる歯ブラシで磨いた方が磨きやすいかなってゆーか…………』 『わかった。そういう事なら俺のを使わせてもらうぜ。でも本当に俺のでいいのか?』 『し、しかたないっしょ!今日は特別だかんね!』 京介「オタクってすげえな。俺には元ネタがサッパリわからねえが、『歯磨きプレイ』……超してえええぇぇぇえええーーーーーー!!!!」 秋美「ついに堕ちたな高坂ぁ!!さっそくあたしん家で『お姫様デート』しようよ!」 京介「しない」 秋美「なんでだよー!!超したいって言ったじゃんか!!」 桐乃「あ、櫻井さん!ちょっと待ってて!」 桐乃は櫻井の言葉をさえぎり、急いで階段を上がっていく。部屋に戻ったようだったがすぐに下りてきた。 桐乃「櫻井さん、これっ!」 きれいにラッピングされた小さな箱を櫻井に渡す桐乃。 櫻井「これは……?」 桐乃「バレンタインのチョコ作り手伝ってもらったお礼。ちゃんとおいしく出来たやつ食べてもらってないからさ」 櫻井「今日呼ばれたのって……これのため?」 桐乃「そ。……櫻井さん、チョコ作り手伝ってくれてありがとね」 櫻井「きりりん氏……」 桐乃「とゆーわけで、櫻井さん今日はおつかれさま。帰っていいよ」 京介「おう。櫻井またな」 櫻井「ちょ!ちょっと待ったぁ!!まさか君たち、あたしを追い返して『お姫様デート』するつもりじゃ……」 桐乃「しないよ?」 京介「しないぞ?」 秋美「う……う……うそだあああぁぁぁあああ!!!!高坂のばかーーーー!!!!こんちくしょおおおぉぉぉおおおーーーー!!!!」 ダダダダダダダダダダダダダダダダ バタン!! 断末魔の叫びと共に家を飛び出していく櫻井。 あんな格好の女の子が家から叫びながら出てったらまたご近所さんの噂になっちまうだろうが! そんな心配をしていた俺をよそに桐乃が、 桐乃「あんたさ、さっき歯磨きプレイの元ネタわかんないとか言ってたじゃん?」 京介「ん?ああ」 桐乃「しかたない。今からその元ネタのブルーレイ見せてあげるから、あたしの部屋いくよ」 京介「お、おう」 歯磨きプレイ……か。さっき櫻井の妄想は途中で中断されたから続きが気になるところではあるな。 そう思い、桐乃の部屋へ向かおうとリビングから出ようとしたが、言いだしっぺの桐乃がなぜか動こうとしない。 すると――― 桐乃「ん」 京介「ん?」 桐乃「だから!ん!」 京介「……どうした?」 桐乃「もう!なんでわっかんないかなぁ!」 京介「…………あっ」 俺は桐乃のそばまで戻り、ひょいと『お姫様だっこ』をしてやった。 桐乃「絶対離さないでよね」 京介「ああ。絶対離さない」 それから桐乃の部屋で、阿良々木くんと火憐ちゃんの歯磨きプレイを視聴した後、 俺と桐乃は少しだけ仲良くなったのであった。 ちなみに今日俺が桐乃のために用意したホワイトデーのお返しは、風呂上りの桐乃に開けてもらおうと風呂場の前で待っていたのだが、 予定より少し早く帰ってきた親父とお袋に先に開けられてしまい、その後すぐに家族会議が開かれた。 ~終~ ----------
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16 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 30 31.97 ID 4SRjOM3Xo [2/20] 悪夢のような今年のホワイトデーから数日後の土曜日。 俺とあやせは、地元の千葉中央駅からも程近い、県民の森公園に来ていた。 「お兄さん、ここどこなんですか? ディズニーシーじゃなかったんですか?」 「だから昨日も電話で謝ったじゃねえか。 ディズニーシーは、また別の機会にしようってことでさぁ、な。 それに、今年は桜の開花も早いみてえだから、今回はこれで勘弁してくれよ」 不機嫌極まりないあやせに、俺は朝っぱらから両手を合わせて謝る羽目になった。 そもそも、何でこの俺があやせをディズニーシーへご招待しなきゃいけねえんだよ。 言っちゃ悪いけど、ホワイトデーにお返しを用意出来なかったくらいでさぁ。 バレンタインのお返しは通常三倍返しとか世間じゃ勝手なこと言ってるけど、 ディズニーシーつったら、一体何倍返しになるんですかっての。 俺だって、何も金が惜しいわけじゃねえよ。 せっかくのあやせイベントを、そう簡単に無駄にしたくはなかったしな。 僅かばかりの預金も含めて、俺の有り金を全部掻き集めても足んなくて、 リビングの絨毯の下とかテレビの後ろとか、金が落ちてないか家中捜したんだけど無駄だった。 日払いで金がもらえるアルバイトも、今みたいな不況じゃ早々見つかんなくてな。 最後の手段として、恥を忍んでお袋に小遣いの前借りを頼んだら、あっさり拒否されちまった。 「あやせとの約束を守れなかったのは俺だから、何言われても仕方ねえと思ってるよ。 でも、これだけは言わせてくれ。あやせの持ってる手提げ袋って、中に何が入ってるんだ?」 「……お弁当と、レジャーシートですけど……それが何か」 「おまえはディズニーシーで、レジャーシート広げて弁当食うつもりだったのかよっ」 「お兄さんこそ何を言ってるんですか。あそこは、お弁当とか持ち込み禁止なんですよ」 いつもながらの俺とあやせの噛み合わない会話から、本日のあやせイベントは開幕した。 公園へ来てからまだ五分と経ってねえけど、俺は心の中で既に帰り支度を始めていた。 17 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 31 04.49 ID 4SRjOM3Xo [3/20] 今年は暖冬の影響からか、桜の開花も例年に比べてかなり早かった。 そうは言っても、まだ朝夕冷え込むこの時期では、ここの桜も三分咲きがいいところだ。 この様子じゃ満開になるのは、月末近くか四月早々だろう。 それでも今日は朝から天候にも恵まれ、春の穏やか日差しに誘われたのか、 家族連れやカップルが何組も見受けられた。 「あやせ、すまねえなぁ。思ってたほど咲いてねえなぁ」 「そうですねぇ。……三分咲き、といったところですか。 でも、全く咲いてないわけでもないですし、満開になったらまた来ればいいじゃないですか」 「また来るって、あやせと一緒に来るのか?」 「当然じゃないですか。……あと、ディズニーシーの方もお忘れなく」 「……何だか俺、あやせに借りが溜まってゆくみてえだな」 「そう思うのならお兄さん、少しでも早めに返してくださいね」 会話の内容はともかく、あやせの顔が何となく微笑んでいるようにも見えた。 桜の花は期待したほど咲いてはいなかったが、どうやら機嫌は直してくれたらしい。 俺の心の帰り支度も、しばらくは取りやめってことだろうな。 俺たちがいる公園は、県民の憩いの場所でもあり、千葉県民なら知らない者はいないだろう。 地元じゃちょっとした桜の名所で、俺のお気に入りの場所でもある。 あやせだって子供の頃から何度も来たことがあるだろうに、 さっきは『ここどこなんですか?』なんて、わざとらしく言いやがって。 それでも弁当まで用意して来てくれたんだから、満更いやだったわけでもあるまい。 「あやせ、せっかく来たんだから、桜でも眺めながら少し歩くか?」 「そうですね。何のアトラクションもないですし、歩くくらいしかやることないですものね。 ……それに、そうでもしてもらわないと、お兄さんのお腹が減らないじゃないですか」 あやせのヤツ、ボソボソと呟くように言うもんだから、後の方はよく聞き取れなかったけど、 どうやら俺は有難いことに、今日はあやせの手作り弁当にありつけるようだった。 18 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 31 45.68 ID 4SRjOM3Xo [4/20] あやせから弁当だのレジャーシートだのが入った手提げ袋を受け取り、 俺たちは桜並木の続く遊歩道をのんびりとした歩調で歩いた。 桜の花は三分咲きでも、園内では今を盛りと、色取り取りの花が咲き乱れている。 「わぁー、きれいなお花。……何ていう花だろう、凄く小さくて可愛いですよね」 遠目から見ても鮮やかな濃いピンク色や、真っ白い色をしたその小さな花々は、 遊歩道からかなり外れたところで地面を覆い尽くすように群生していた。 桜を見ていただけでは、気付かずに通り過ぎてしまってもおかしくはない。 あやせは小さく感嘆の声を漏らしながら、その花の咲くところへと駆け寄った。 仕方なく俺もあやせの後を追った。 「とってもきれいで可愛いんですけど、何という花か、お兄さん知っていますか?」 「芝桜って言うんだよ、それ」 「……随分あっさりと言うんですね。何で知っているんですか? 以前から不思議だったんですが、お兄さんって、どうでもいい事をよく知っていますよね」 「ほっとけっ!」 花の名前に少しくらい詳しいからって、あやせのヤツ、さも不思議そうな顔しやがって。 人間なんだから取り柄のひとつくらいあったっていいじゃねえか。 お袋はガーデニングが趣味で、庭なんか小さいくせにやたらと花を植えるもんだから、 俺も手伝わされる内にいつのまにか詳しくなっちまっただけだよ。 「お兄さん、もしかして“お華”とかやってないですよね?」 「あやせの言う“お華”ってのは、いわゆる華道ってヤツか? 俺がやってるわけねえだろっ!」 俺が畳の上でかしこまって花を活けてるなんて、想像もしたくないわっ。 一体どういう神経をしていたら、そういう発想が出て来るんだか。 もしそんなことになったら、桐乃のオタク趣味なんてまともに見えるぜ。 19 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 32 20.15 ID 4SRjOM3Xo [5/20] 俺とあやせは遊歩道を並んで歩きながら、あやせが指差した花の名前を俺が答えるといった、 どうでもいいような会話を延々と続けていた。 「このピンク色の花は?」 「それは、かたくりの花だよ」 「……もしかしたら、片栗粉ってこの花から作るんですか?」 「昔はそうだったらしい。でも、今はじゃがいもから作ってんだろ」 あやせは俺が花の名前を答えると、その都度感心したり、答えに詰まると嬉々として喜んだ。 ついにはタンポポまで指差して、俺に名前を聞いてくる。 タンポポを知らん人間なんていねえだろと思いいつつ、それでも答えてやった。 「あやせ、その花がタンポポ以外の何に見える?」 「あっ、そうですよね。……でも、花の名前に詳しい男の人って、なんか素敵ですよね。 きっと、将来何かの役に立ちますよ」 「なわけねえだろ。おまえ、俺のことからかってんだろ」 俺があやせの頭を軽くコツンと叩くと、あやせは肩をすくめて舌を出した。 花の名前に少しくらい詳しくたって、将来役に立つことは多分ねえだろうけど、 あやせの機嫌を直すことには役立ったようだ。 その後も俺たちが、学校のことなど他愛もない会話を続けながら遊歩道を歩いていると、 前から保育園児たちが二人ずつ手を繋ぎながら、列を作って歩いて来た。 保育士らしき女性が二人、園児の列を前後に挟むようにして引率している。 園児の列が俺たちの横を通り過ぎる時、園児の一人があやせに向かって手を振った。 あやせは満面の笑顔で、手を振ってそれに応える。 園児たちが全員通り過ぎてしまってから、俺はあやせに声を掛けた。 「あやせって、見るからに小さい子供が好きみたいだもんな。 やっぱ、将来は保育士とか幼稚園の先生が夢か?」 「うーん、まだそこまでは考えてないんですが、でも、子供は大好きですよ。 お兄さんは、将来結婚したら子供は何人くらい欲しいんですか?」 返答に詰まるような質問をしてくるんじゃねえよ。 20 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 33 09.09 ID 4SRjOM3Xo [6/20] 時計を確認すると、そろそろ昼時分になっていた。 俺はどこか日当たりの良さそうな所で昼飯にしようかと思って、あやせに聞いた。 「そろそろ昼だけど、芝生広場にでも行くか? あそこなら日当たりも良いしよ」 「芝生広場でもいいですけど……わたしは、出来れば桜の木のある所の方がいいです」 「そっか、じゃあ、あそこがいいかな」 俺は飯を食う場所にこだわらない。 あやせの手作り弁当が食えるんなら、どこだっていいんだよ。 桜の木があって、そこそこ日当たりも良い場所へ俺はあやせを案内した。 県民の森公園のことなら俺に聞けって程じゃねえけど、 それくらいのこと、遊歩道を歩いている時から目処は付けてあるさ。 「お兄さん、お弁当か何か買って来なくていいんですか?」 「……あやせ、その冗談は笑えねえよ」 デートでよく有りがちなのが、彼女が作ってくれた弁当がスッゲー不味いってやつ。 それなのに彼氏の方が無理して、さも美味そうに食うってのがあるだろ。 俺なんか彼女がいないもんだから、そんな話しを聞くとアホかって思うんだよ。 不味いモンは不味いって、はっきり言ってやりゃあいいじゃねえか。 その方が彼女だって、次こそは頑張ろうって思うんじゃねえのか。 21 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 34 02.46 ID 4SRjOM3Xo [7/20] あやせの作ってくれた弁当を食わせてもらうまでは、俺は確かにそう思っていた。 だけど、そんなくだらない考えは、あやせの弁当を食わせてもらってすべて消し飛んだ。 弁当が美味いとか、不味いとかそういう問題じゃない。 ただ、あやせの左手の親指と人差し指に巻かれた、小さな絆創膏を見ちまったら、俺。 「お兄さん? どうかしたんですか?」 「なっ、なんでもねえよ。……ちっと、目にゴミが入っちまったみてぇでよ」 こんなの卑怯じゃねえか。 俺はあやせに気付かれないように、手の甲で涙を拭った。 あやせがどんな想いで今日の弁当を作ってくれたのか、それを想像しちまったら…… 「本当に大丈夫ですか?」 「……あ、ああ、大丈夫だ。……俺、ちょっとトイレ行って、目ぇ洗ってくっから」 もし、自分の彼女が作ってくれた弁当を貶すヤツがこの世にいるなら、 俺はそいつを片っ端から張り倒してやりたいね。 彼氏でもない俺なんかのために、あやせはきっと早起きして弁当を作ってくれたんだろう。 コンビニ弁当だって、俺は一言も文句なんか言わねえのによ。 次から次へと涙が溢れ出てきやがる。 あやせが心配して俺の背後から声を掛けてきたんだけど、 そんなあやせの声を無視して、俺は一気にトイレに向かって駆け出した。 22 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 34 37.77 ID 4SRjOM3Xo [8/20] トイレで顔を洗って急いで戻ると、相変わらずあやせは心配そうな顔で俺を見ていた。 まさか、あやせの作ってくれた弁当に感激して泣いたなんて、言えるわけねえもんな。 俺はあやせに少しでも感謝の気持ちを伝えたくて仕方がないのに、 それを素直に言葉に出来ないことがもどかしくて歯痒かった。 「お兄さん、ゴミ、取れましたか?」 「あ、ああ、水道で洗い流したら取れたよ。心配掛けてすまねえな」 俺がそう言うと、やっとあやせも安心したらしく、いつもの笑顔に戻った。 それにしても、女の子の作ってくれる弁当なんて凶器と一緒だろ。 男の胸に容赦なく突き刺さるじゃねえか。 誰だかは知らねえけど、あやせの彼氏になるヤツは最高だね。 見てくれよあやせを、この輝くような笑顔、この優しさ、そして絆創膏付き手作り弁当。 突然おかしくなる性格さえ克服出来れば、その野郎はきっと世界一の幸せモンさ。 あやせが指を怪我してまで、俺のために作ってくれた弁当だもんな。 感謝して食わなきゃ、罰が当たっちまうよ。 「あやせ、この厚焼き玉子、すっげー美味いじゃん。俺のお袋とは大違いだよ」 「そうですか? その厚焼き玉子は、お母さんに作ってもらいました」 「……そ、そうなんだ。……じゃ、じゃあ、このから揚げは?」 「から揚げは冷凍食品です。レンジでチンすればいいんですよ」 「これが冷凍食品? それなら、えーっと……このホウレンソウの――」 「ああ、それはホウレンソウとベーコンのソテーで、それもお母さんです」 弁当のオカズのタッパーには、他にカニクリームコロッケとブロッコリーのサラダが入っていた。 カニクリームコロッケは冷凍食品だろうし、ブロッコリーは多分茹でただけだよな。 「あやせ、気に障ったらごめんな。さっきから気になってたんだけど、その指の絆創膏は?」 「これですか? これは、リンゴでウサギさんを作ろうと思ったんですが、 失敗してしまって、ちょっとだけ切ってしまったんです。うふっ」 何が『うふっ』だよっ、笑って誤魔化すんじゃねえよっ! 俺の涙を返してくれよ。 大体どこにウサギがいるんだよ。 リンゴの先っちょに赤い皮が少しだけ残ってるヤツがウサギだってか? 頭のてっぺんだけ赤い丹頂鶴かと思ってたぜ。どんだけ不器用なんだよ、あやせって。 23 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 35 24.30 ID 4SRjOM3Xo [9/20] 結局のところ今日の弁当は、あやせのお袋さんが作ってくれたってわけか。 玉子焼きといい、ホウレンソウのソテーといい、あやせのお袋さんって料理上手なんだろうな。 あやせも、いつかはお袋さんのように料理上手になるんだろうけど……。 それにしても、あやせも黙っていれば分からねえのに。 いつだったかあやせが、嘘を吐かれるのが大嫌いだって言っていたのを俺は思い出した。 嘘を吐かれるのと同じくらい、自分も嘘を吐きたくないんだろう。 お袋さんに作ってもらったなんて臆面もなく言いながら、 もくもくと弁当のオニギリを食べるあやせを見ていて、俺はふと疑問が湧いた。 料理上手のあやせのお袋さんにしては、あやせが今食っているオニギリって、 何となく形が不恰好じゃねえか? さっき俺が食った時は、全く気が付かなかった。って言うか、普通の三角形だった。 俺はあやせが自分用だと言っていた、まだラップに包まれたままのオニギリをひとつ掴むと、 そのラップを取り去った。 「あっ、お兄さんっ、そっ、それはダメなんです」 「………………」 ラップを取ったオニギリは、三角形と言うには少しだけ形が崩れていた。 あやせは慌てふためき、顔が見る間に赤くなってゆく。 「……そっちは……失敗作なんです」 いくら鈍感な俺だって、どういうことか理解出来るよ。 オニギリだけはあやせが作ったんだろ? 料理は苦手な筈なのに。 いくつもいくつもオニギリを握って、上手く握れたやつだけを俺にくれて、 自分は失敗したやつを食ってるんだろ。 あやせのヤツ、どんだけ俺を泣かせりゃ気が済むんだよ。 24 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 35 54.87 ID 4SRjOM3Xo [10/20] あやせは顔を真っ赤にしながら、俺の手からオニギリを取り上げようとした。 俺はそんなあやせには構わず、形の崩れたオニギリを口へ運んだ。 さっきまで俺が食っていた三角形のオニギリと、何ら味に変わりはないはずなのに…… 何十倍も美味く感じるのは何でだろうな。 「お兄さん、無理しないでください。……そんな形が崩れたのなんて……」 胸がいっぱいで、噛んでも噛んでも、なかなか飲み込むことが出来なかった。 もう目にゴミが入ったなんて誤魔化すことは出来ない。 いや、少なくともあやせには、そんな誤魔化しはしたくねえ。 「なあ、あやせ……」 「何でしょうか? ……もしかして、まだ目にゴミが残ってるんじゃないんですか?」 「いや、そうじゃないんだ。……なあ、俺にあんまり気を使わないでくんねえか。 あやせが作ってくれたもんなら、俺は何だって喜んで食わせてもらうから、な。 それにさぁ、以前のあやせだったら、俺にこんなに気を使わなかったじゃねえか。 気のせいかも知れんけど、何か最近のあやせって、おかしくねえか?」 最近俺があやせに感じていた疑問を、思わずストレートにぶつけちまった。 だってそうだろ。今日だって、先日のホワイトデーにバレンタインのお返しを あやせに渡せなかった代わりっていうのが発端だったはずだ。 それも約束したディズニーシーなんかじゃなくて、地元の県民の森公園だってのに。 それにもかかわらず、あやせは俺のために弁当まで作って来てくれた。 俺は聞かずに置こうと思っていた最大の疑問を、ついに口にした。 「おまえ、俺のこと、好きなの?」 「好きですよ」 突然の俺の問い掛けにも、あやせはそれを予想していたかのように平然として答えた。 しばらく逡巡するかのように、膝の上で絡めた指先を弄んでいたあやせは、 俺の視線を避けて遠くを見つめながら訥々と話し始めた。 25 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 36 24.29 ID 4SRjOM3Xo [11/20] 「初めてお兄さんと出会った時、優しそうな人で何となくいいなぁと思ったんです。 その後しばらくして桐乃のことがあって、ほんの少しだけ嫌いになりかけました。 わたしはまだ子供だから、あの時は、お兄さんの本心がわからなかったんです。 でも、家に帰ってから、冷静になってゆっくりと考えてみたんです。 もしお兄さんが、あのようないかがわしい――ごめんなさい。あのような趣味を 本当に持っているのなら、わざわざ人前に晒すようなことをするだろうかって」 そこで一旦言葉を切ると、小さく溜息をついた。 「よく考えてみれば、答えは簡単に見つかるんですよね。 ……桐乃を守るため、桐乃とわたしを仲直りさせるため、ですよね?」 俺がもし、あの時のことは今あやせが言った通りだと言えば、どうなる? たしかに俺の汚名は返上出来るだろうな。 しかし、そうなると桐乃は―― 「今あやせが言ったこと、俺は肯定することも否定することも出来ねえ。 あやせなら、何でだか分かってくれるよな」 「はい、わかっています。 このことは今日を限りに、わたしの胸の内にしまって置こうと思います。 ……お兄さん……わたしの顔、きっと真っ赤ですよね。 さっきから心臓がドキドキして、自分でもわかるくらいですから。 でも、いつかお兄さんに伝えないと、きっと後悔する。……そう思っていたんです」 あの出来事から数日後、あやせからもらったメールで分かってはいた。 しかし、誤解されたままでも、別にいいと思っていたのもたしかだ。 今日だってこうして、傍からみればまるで恋人同士のように過ごしているわけで、 俺に取っちゃ何の実害もないわけだからな。 でも、あやせから直接聞くと、また違った思いが湧いてくる。 何事も曖昧にして置きたくはないというあやせの性格かとも思ったんだが、 長い沈黙の後、次にあやせが口を開いた時、それは急展開を迎えた。 26 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 36 59.79 ID 4SRjOM3Xo [12/20] 「わたし男の人って、何だか苦手だったんです。 同級生の男の子から、付き合ってくれって告白されたこともあります。 でも、わたしが断ると、陰で悪口を言われたり、良くないうわさを流されたり……。 ……学校ではわたし、男子からあまり好かれてないんです。 モデルだからお高くとまってるとか、あいつは男より女に興味があるんだとか言われて。 そんなことないのに、わたしにだって好きな人くらいいるのに……」 あやせは両手の拳を強く握り締め、悔しそうに下唇を噛み締めると、 頬を伝わる涙を隠そうともせず、想いの丈を一気に吐き出した。 「わたしは、お兄さんのことが好きです。大好きなんです」 何ら飾ることのないストレートな言葉で、あやせは俺に想いを伝えてきた。 あやせが俺のことをどう想っているかなんて、薄々気付いてはいた。 まさか今日この場で告白されるとは、夢にも思っていなかったけどな。 でも、残念だけど今の俺には、あやせの想いを受け止めることは出来ねえ。 「さっきの男子から嫌われてるかもって話だけどさぁ、あやせの思い過ごしだと思うぜ。 あやせはグリム童話の『すっぱい葡萄』って話し、知ってるか? その話ってのは…………何だっけかな……」 「お兄さん、それを言うなら『きつねとぶどう』じゃないですか? それに、その話はグリム童話ではなくて、イソップ物語です」 手の甲で涙を拭いながら、あやせは俺を睨み付けながら言った。 「えっ!? そっ、そうだったっけ? まっ、まぁ何にしても…… 俺が言いたいのは、それはあやせに振られた男どもの“負け惜しみ”だってこと、 決してあやせが嫌われているわけじゃねえよ」 27 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 37 34.06 ID 4SRjOM3Xo [13/20] 「あやせ、ちょっと聞いてもいいか? もし言いたくなけりゃ、それでも構わんから」 「何でしょうか、聞きたいことって」 「あやせは初恋っていくつの時だった? さっきも言ったけど、答えなくてもいいけどさ」 「別に恥ずかしいことじゃありませんし…… たしか、小学校四年生の時、同じクラスの男の子でしたけど、 何となくカッコいいなぁと思いました。……でも、それがどうかしたんですか?」 俺にも同じような経験がある。 そのくらいの年齢になると、誰にも同じような想い出があるんじゃないだろうか。 ちょうど第二次性徴が始まる時期に、男子も女子もお互いに異性を意識し始めることが。 でも、それと初恋は違うものだと俺は思っていた。 「あやせがどう思うか分かんねえけど、それは初恋とはちょっとだけ違うと思うんだ。 別にあやせの言ったことを否定する気はねえから、でも、気に障ったらごめんな」 「気に障ったりはしません。小学生の時の話ですから。 ただ、お兄さんが何を言いたいのか、わたしには分からなくて……」 「そっか、俺の言い方が足りなかったよな。……怒らないで聞いてくれるか?」 「……はい」 いつの間にあやせと恋の話になっちまったのか、分かんねえけどな。 穏やかな春の日差しと、桜の木の下というシチュエーションが、俺をそんな気にさせた。 あやせに、いや、あやせだからこそ聞いて欲しいと思ったのかも知れない。 しかし、あやせとこの手の話をする時には、言葉は慎重に選らばねえとな。 「俺が思うに、あやせの初恋って、今なんじゃねえか?」 「……どういう意味ですか? 今って」 「上手く説明する自信がねえけど、とにかく怒らないで最後まで聞いてくれ、な」 あまりにも突拍子もないことを俺が言うもんだから、 当のあやせは、きょとんとした顔で俺を見つめるだけだった。 28 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 38 09.54 ID 4SRjOM3Xo [14/20] 「今、あやせは恋をしているんじゃねえかな。 それはあやせにとっての初恋なんだと思う。初めて誰かに恋をしたってことさ。 なにも四六時中とは言わねえけど、そいつのことが頭に浮かぶんだろ?」 あやせは見る間に顔を真っ赤に染め、恥じらいと怒りの入り混じった表情で俺を睨みつけた。 俺がどう言えば、あやせがどう反応するかなんて、十分承知していたさ。 それでも敢えて言わざるを得なかった。 「だから怒るなって言ったろ、最後まで聞いてくれよ。 でもな、初恋って、多くは一過性のもんなんだよ。 俺に言わせれば、そういうのって、大抵時間と共に目が覚めちまうんだ」 「お兄さんは、わたしもいずれそうなると、そう言いたいんですか?」 あやせの質問に、肯定をする意味で俺は頷いた。 崩していた膝を抱え、その膝の上にあごを乗せながら、 あやせは俺の言った言葉の意味を考え込むようにして押し黙った。 俺はそんなあやせの仕草を楽しむように、彼女の横顔を見つめていた。 時間が止まってしまったような、でも、幸せなひと時だった。 「わたしも、お兄さんに聞いてもいいですか?」 「何を?」 「お兄さんは初恋って、いつでしたか?」 「俺か? 俺は中一の時かな。……ちなみに、相手は妹の桐乃だ」 俺は言うと同時に地面にひれ伏すと、頭を抱えてあやせからの攻撃に備えた。 「勘違いすんなよっ。別に桐乃とどうこうしたいなんて思っちゃいなかったさ。 あやせだから、俺は正直に話すんだけどな。 俺は、あいつが実の妹でなけりゃどんなにいいかと思ったこともあるよ。 兄貴の俺が言うのもなんだけどさ、桐乃ってけっこう可愛いだろ? 今じゃ性格はアレだけど、昔は素直で本当にいいやつだったんだよっ」 29 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 38 37.90 ID 4SRjOM3Xo [15/20] いつまで経ってもあやせからの攻撃が無いことを訝しく思い、 頭を抱え込んだまま、俺は恐る恐るあやせの様子を窺った。 不思議なことに、あやせは何が可笑しいのか穏やかに微笑みながら俺に言った。 「お兄さん、頭を上げてください。わたし、殴ったりしませんから。 それに、お兄さんの気持ちも分からなくはないです。 女のわたしから見ても、桐乃ってとっても可愛いですし。 もし、桐乃がお兄さんの妹でなければ、好きになってもしょうがないと思います」 あやせから殴られる恐れがないと分かって、俺はゆっくりと姿勢を元に戻した。 以前ならとっくに殴られてもおかしくない情況だろうに、 今日のあやせはいつまでも顔に笑みを湛えて、俺を見つめている。 まさしく、ラブリーマイエンジェルあやせたん! ってところかな。 それに気を良くした俺は、思いもかけない方向へ話を持っていっちまった。 「俺は思うんだけどさ、初恋なんて、ちょっと風邪を引いたみたいなモンでな。 気が付くといつの間にか直っちまってて、あの時の気持ちって一体何だったんだ、ってな」 「それじゃあ、お兄さんは、わたしがお兄さんを好きな気持ちもいづれは消えてしまうと? お兄さんのように、初恋の相手は実妹だって堂々と言い切れる人の言葉を、 わたしは素直に受け止めていいのかどうかわかりませんけどね」 俺に対する痛烈な皮肉と、取れないこともない。 あやせの顔を見つめながら、今のあやせになら、俺は誰にも話したことのない、 妹を好きになった当時の心境を話してもいいかと思い始めていた。 「あやせ、少しだけ俺の話をしてもいいか?」 俺がどんな話をするのかも知らないくせに、あやせは優しく微笑んで小さく頷いた。 30 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 39 21.52 ID 4SRjOM3Xo [16/20] 桐乃のことを異性として意識し始めたのは、俺が中学生になったばかりの頃だ。 クラスにも可愛い子や、中学生にしては美人な子も中にはいることはいた。 しかし、当時の俺にとって、妹の桐乃ほど心がときめくヤツはいなかった。 それまで兄貴が実の妹に恋するなんて、エロ小説かエロ漫画の世界だけだと思っていたから、 まさか、この俺がそうなるとは夢にも思わなくて、マジでその当時は悩んだもんさ。 “兄妹愛”なんて陳腐な言葉じゃ説明しきれねえし、そもそも“兄妹愛”って何だよって、 悩めば悩むほどドツボに嵌まる思いだった。 妹を好きになっちまった罪悪感と、俺自身に対する嫌悪感に苛まれる日々が続いた。 そんな苦しみから逃れるために俺が出した結論は、桐乃を“無視”することだった。 徹底的に無視することによって、俺の心の中から桐乃を追い払う。 それまで仲の良かった俺たち兄妹の間に溝が出来始めたのも、思い起こせばその頃だ。 桐乃も当初は急に冷たくなった俺に戸惑い、時には泣いて抗議したこともあったけどな。 しばらくする内にあいつも諦めたのか、俺に話し掛けて来ることもなくなった。 俺たちは同じ家で暮らし、同じ食卓に着きながらも、お互いいないものとして振舞った。 会話を交わすことなんて滅多になく、すればしたで桐乃は俺に必ず悪態を吐いた。 当然と言えば当然だよな。桐乃は何で自分が兄貴から無視されてんだか知らねえんだから。 そんな日常を何年も重ねる内に、俺自身なぜ桐乃を無視するようになったかさえ忘れちまった。 俺と桐乃の修復不能とも思えた冷え切った関係に、変化の切っ掛けを作ってくれたのが、 玄関先に落ちていた、たった一枚のDVDケース。 それが、俺と桐乃の錆び付いた歯車を再び噛み合わせ、最初はぎこちなくともゆっくりと、 そして日を追うごとに急速に回し始めた。 俺たちの間の溝を埋めるように。そして、失った時間を取り戻すように。 失った時間は大きかったが、決して無駄じゃなかった。 その間に俺は精神的にも成長し、桐乃を本来の妹として見ることが出来るようになった。 俺にとって、妹に恋したことは疚しいことでも恥ずかしいことでもない。 初めて恋をした女の子が、たまたま妹だったというだけだ。 それに、何といっても妹の親友のあやせに出会えたじゃねえか。 今、隣りで黙って俺の話を聞いてくれている、あやせに。 31 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 40 14.74 ID 4SRjOM3Xo [17/20] 長い間、心の奥底に封印していたことをあやせに話し終えて、 俺は肩の荷を降ろしたような気分だった。 そんな俺をあやせは、慈愛に満ちた優しい眼差しで見つめてくれていた。 「お兄さん、何故その話をわたしにしてくれたんですか?」 「何でだろうな。……誰かに聞いて欲しかったのかもな。 ……いや、そうじゃねえ。俺はあやせに聞いて欲しかったのかもな」 「お兄さんが正直に話してくれて、わたし、何だかとても嬉しいです」 俺が妹のことを好きだと人前で言ったのは、これで二度目だ。 よりにもよって、その二度ともがあやせだとはな。 兄貴として妹の桐乃には、誰よりも幸せになって欲しいと心から思う。 それと同じくらい、あやせにも幸せになって欲しいと願っている。 「ところでお兄さん、わたし、さっきからずっと気になっていることがあるんです」 「気になっていることって?」 「なんだか、話をはぐらかされているような気がして仕方がないんですが?」 「俺が話をはぐらかしたって、何が?」 「わたし、さっきお兄さんに好きだと、何気なく告白したつもりなんですが……。 気のせいかも知れませんけど、わたしのこと何気なく振ったんじゃないんですか?」 「分かっちまったか?」 「………………」 あやせは一瞬固まったように見えたが、すぐに顔を真っ赤にしてオニギリを包んでいた ラップだの空のペットボトルだのを俺に投げつけ、口を尖らせながら怒った。 「それって、あんまりじゃないですか? わたしがお兄さんを振るならともかく、何でわたしが振られなくちゃいけないんですか。 信じられませんよ。大体お兄さんに、わたしを振る資格なんてあるんですか? 今まで散々セクハラみたいなことをして置きながら、どうなんですか?」 手近に投げ付ける物がなくなったあやせは、弁当のおかずのタッパーに手を掛けた。 ラップや空のペットボトルくらいなら我慢できるけど、タッパーはねえよ。 当たり所が悪かったら、いくらなんでも俺だって泣いちまうよ。 32 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 40 44.91 ID 4SRjOM3Xo [18/20] あやせから告白されても、彼女を傷付けねえように上手くかわしたつもりだった。 それなのに、これじゃあ振り出しに戻っちまったじゃねえか。 何もあやせが言うように、俺があやせを振るつもりなんて微塵もねえって。 ただ、今の俺には、あやせの気持ちを受け止めてやるだけの自信がねえんだ。 「俺はあやせが思っているほど、大した男でもねえし、何の取り柄もねえだろ。 強いてあげれば、花の名前に詳しいくらいじゃねえか」 「お兄さんはそういうことを言って、また、わたしをはぐらかすんですか?」 「はぐらかすつもりなんてねえって。さっき俺があやせに話した初恋の話、覚えてるだろ。 ……俺は、そんなことであやせを失いたくねえんだよ」 初恋なんて風邪を引いたみたいなモンで、時が経てば想い出に変わっちまう。 俺はあやせを、いつの日か想い出の中だけに住む彼女にはしたくなかった。 あやせが俺の妹なら、仲違いしたとしても、桐乃の時のように何かの切っ掛けがあれば、 再び仲が良かった元の状態に戻れるかも知れん。 しかし恋人ってのは、お互いに好きだという気持ちだけで結ばれているもんだから、 一度その関係が壊れちまうと、元の他人同士よりも遠い存在になっちまうものなんだ。 恋人同士にはなれなくても、今日のように一緒に出掛けたり、時には怒られたりしながら、 いつまでもあやせには、俺の近いところにいてくれることを願った。 「お兄さん、もしかしたら、今も桐乃のことを……」 「それはねえよ。それだけはあやせに誓ってもいい」 「そうですか。……それを聞いて、少しだけ安心しました」 「もう俺のことなんか、嫌いになっちまったんじゃねえのか?」 あやせは抱えた自分の膝の上にあごを乗せると、可笑しそうに笑いながら俺に言った。 「そうですね。嫌いになったかもしれませんよ。 ……取りあえず、今日わたしが、お兄さんのことを好きだと言ったことは忘れてください。 わたしがお兄さんに振られたなんて、納得がいきませんから」 俺はあやせに投げ付けられたラップだの、空のペットボトルだのを片付けてから、 頭上に咲いている桜の木を見上げた。 33 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 41 11.13 ID 4SRjOM3Xo [19/20] 「この公園の桜も、もうしばらく経たなきゃ見頃になんねえなぁ。 ……本当に、今日はごめんな。もうちっと咲いててくれてもいいじゃんかなぁ」 「わたしは、このくらい咲いている方が好きですよ。 だって、桜って満開になるとすぐに散ってしまうじゃないですか。 桜が散る時って、とてもきれいなんですけど、何だか寂しい気もします」 桜の花が嫌いだという人を俺は知らない。 花が散って、道路に散乱している様子はあまり見られたもんじゃないが、 一気に花開いて潔く散る桜は、人々の心の琴線に触れる不思議な力を秘めている。 「お兄さん、桜の花を一輪だけ摘んでもらえますか?」 あやせがふと何かを思い付いたように、桜の木を見上げながら言った。 咲いているとは言っても、やっと今週辺りから咲き始めたばかりだ。 決して満開の桜から受けるような、誰をも魅了する華やかさなんて感じられない。 むしろ、弱々しく儚げな印象すら感じられた。 「まだ咲き始めたばっかだし、もう少し待てばもっときれいに咲くぜ」 「わたしも、今摘んでしまうのは可愛そうだって思っています。 でも、わたしには、今この場に咲いている桜じゃないと意味がないんです」 何かを思い詰めたようなあやせに気圧されて俺は立ち上がると、 手近な枝から、ようやく咲き掛けた桜の花を摘み、あやせの手のひらに載せてやった。 もう一日待っていれば、翌朝には完全に開花したであろうその花びらを見て、 可愛そうなことをしちまったかなと、少しだけ後悔した。 でも、今のあやせには満開の桜よりも、この方が似合っているのかも知れん。 「わたし、この桜の花で押し花を作ろうと思います。 押し花にすれば、ずっとこのまま、いつまでも変わらない姿で残せるから。 ……お兄さんは初恋なんて、いつか想い出に変わってしまうって言いますけど、 この桜の花を見るたびに、わたしは今日のことを想い出します」 34 名前: ◆Neko./AmS6[sage saga] 投稿日:2011/03/27(日) 16 41 49.51 ID 4SRjOM3Xo [20/20] 手のひらに載せた一輪の桜をじっと見つめていたあやせは、 ゆっくりと俺に視線を向けると、俺の眼をしっかりと見据えてから言った。 「来年の桜が咲く頃に、今日お兄さんに摘んでもらったこの桜の花を見た時…… わたしのお兄さんへの想いが、今と変わらずたしかなものなら……」 「あやせが俺に、改めて告白するって言うのか?」 「……違いますよ。来年の春になれば、わたしは高校生ですよ。 今よりも、もっといい女になっているに決まっているじゃないですか。 だから、その時はお兄さんが、わたしに告白をするんです」 あやせの自信に満ち溢れ、そして勝ち誇ったような笑顔を見て、俺は頭を掻いた。 その言い方からすっと、俺があやせに告白することが既定路線ってことか。 俺もあやせもお互いの顔を見合わせて、笑うしかなかったよ。 「じゃあ、その時俺があやせに告白したら、あやせは俺と付き合ってくれるってか?」 「いいえ、一度目は丁重にお断りします。……今日わたしに、意地悪をしたお返しに。 だからお兄さん、もう一度わたしに告白してください。 そうしてくれたら、わたしも真剣に考えてあげてもいいですよ」 今こうして俺の顔を見ながら無邪気に笑い掛けてくれるあやせも、 一年後には遥かに美人で可愛くなっているに違いねえ。 その時まで、あやせが俺への想いを持ち続けてくれるかは、誰にも分からねえけどな。 「お兄さん、桜が満開になったら、また連れて来てもらいますから」 それが当然とでも言いたげなあやせを見ていたら、思わず吹き出しちまった。 だけど、あやせは無邪気に笑ってっけど知らねえだろ? 俺の手のひらの中にも、一輪の桜がそっと握られていることを。 (完)
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店を出ると夏の暑い日差しが肌を焼いた。相変わらず忌々し暑さだ。 ――晴れて高校を卒業した俺は大学に入学するのと同時に一人暮らしを始めた。 あ、別に追い出されたわけじゃないぞ?家から大学がちょっと遠くてな、俺も一人暮らしとやらをを体験したかったし。 まぁ、そんなわけで親父に話すと「良い経験になる」と即快諾してくれた。 ……お袋は不安な顔をしてたっけな。 大学からも近いし、駅からも近い。かなり良い場所だと思う。 駅から徒歩5分!だけど毎朝踏切で10分近く待たされる、なんてことも無いしな。 もっとも俺は、電車なんてほとんど乗らないから関係ないんだけどね! っと、まぁ、一人暮らしやってるとこういうつまらんことを考えちゃったり独り言が多くなったりしちゃうワケよ。 体験したことのあるやつならきっと、今の俺の言ってることが理解できると思う。 一人暮らしは良いぞ?家族に気を遣わなくて良いし、気を遣われることもない。……時たま無性に寂しくなったりするけどな。 しかし、アパート俺一人しか住まないのにワンルームじゃないんだよな。なんとリビングがあって個室が複数あるんだぜ? 俺はもっと狭いところでも良かったんだけど、桐乃の強い要望でなぜかここになった。 なんで、自分が住むわけでもないのにあんなに必死になっていたのかが未だにわからし、どう考えても俺なんかより断然真剣に住まい探しをしていた。 まぁ、自分の時のための予行練習のつもりだったんだろう。 それにしても鬼気迫る表情で親父に意見していたときは喧嘩でも始まる物かとはらはらしたのもだ。 まぁ、なんだかんだ言ってもこの広さも気に入ってる。俺もいずれ彼女とか出来たりしたら…… にゃんにゃんらぶらぶな同棲生活を送ることができるわけだからな! その点桐乃には大感謝だな。 そんなうきうき気分で帰宅してドアをくぐると、ふと違和感に襲われる。 どこかでかいだことのある懐かしい匂いが鼻孔をかすめた…… 気がした。 そして何より気になるのが目の前に積まれたこの段ボールの山だ。 「な、なんだこれ?」 大きめの段ボール箱がでんでんと6つほど無造作に積まれていた。 身に覚えがない。もちろん通販で買ったそういった類の物ではないはずだ。 しばし唖然とし目の前の山を眺めていると、奥の部屋から物音が聞こえた。 ……妙だ、何かがおかしい。 俺は物音の正体を確認すべく、ドアを開いた。 ここは使ってない空き部屋なんだが…… 「ちょっと!なに勝手に人の部屋あけてるワケ?」 「!!!!????」 理解不能の事態が俺を襲った。なんだこれ?どうなってんだ?意味がわからん。 は?何で?何でこいつがここに?人の部屋?誰の? つーかなにやってんの? 「お、おま……なんで?」 俺が狐につままれたような顔で桐乃に尋ねると、こいつは少し不機嫌な顔つきで 「あたし、今日からここからここに住むから」 と、耳を疑うようなこと口にした。 ――愛妹との暮らし方 「と、とりあえず事情と状況を話してもらおうか?」 俺たちはテーブルの椅子に腰掛けて対峙していた。 俺は未だにこの状況が信じられずあたふたし、桐乃と言えばムスーとした顔で頬をふくらませテーブルと睨めっこしていた。 もうさっきからずっと黙ったままだ。 ……やれやれ。どうしたもんかねこれは。 「なぁ、桐乃?別に尋問してるわけじゃないんだ。どういうことなのか、説明くらいしてくれても良いだろ?」 「……そんなに嫌だったの?」 「うん?なにがだよ?」 桐乃はチラチラとこっちの様子を伺いながら、蚊の鳴くような声でそんなことを聞いてきた。 今にも泣き出しそうだ。 いったいどうしちまったってんだ?泣きてーのはこっちなんですよ? 「いや、嫌だとかそうだとかじゃなくてだな…… あ、別に嫌じゃなかったよ?」 「嘘!だってあたしの顔見た時嫌そうな顔した!」 やー、そんな涙目で睨まれてもな…… 相変わらずこいつは苦手だ。 「してねーよ。嫌じゃないっていってるだろ?俺はただこうなった理由をだな……」 「じゃあ、……嬉しかった?」 こいつ俺の話聞く来あるのかね? 昔っからどうもこいつには相手に話のペースを持っていかれがちなんだよな。 おそらく、少なくともこいつの話を聞くまでは、俺の話は聞いてもらえないだろう。 ……こいつの話が終わっても俺の話を聞いてくれるか怪しいんですけどね。 はぁ、しゃーねぇなぁ。 「あぁ、もうわかった!わかったよ!久々に会えて嬉しかった! もうこれでいいだろ?わかったら俺の話を――」 「そ?じゃあ文句ないっしょ?こんな可愛い娘と一緒に暮らせるんだからさ、ありがたく思いなさいよね? じゃあ、あたしまだ片付けがあるから。見られたくない物とかもあるし、手伝いはいいや。」 あっけらかんとそう言い放つと俺の制止を気にもとめず、部屋に戻る瞬間「用があったら呼ぶから」 と、一言だけ残して消えた。 「……嘘泣きかよっ!」 迂闊だ。すっかりだまされた。 嘘だとしても弱いんだよなー。そりゃそうだろ?あんな顔されたら誰だって狼狽える。 ……それにしても 「はぁ……」 これからの生活を考えると気が滅入った。 人生相談のおかげで少しは縮まったにしろ、今まで互いに避け合ってきた俺たちだ。 物理的に距離が近くなったこの環境で、衝突無しに生活できるだろうか? 桐乃が騒ぎ立てそうな懸念事項も少々あることだしな。 も、もちろんやましいことなんてなにもしてないよホントだよ! 「でも、まぁ……」 こんな不安を抱きながらも少しは嬉しいと、正直にそう思うのだった。
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http //yomi.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1293190574/672-679 ――女の子が自分の為に作った手料理 このフレーズに憧れない男子はいないだろう。 まして「女の子」の前に「かわいい」という形容詞がつくなら尚更だ。 ……しかしよ、まさか「女の子」の後に「達」がついて複数系になるとは思わなかった。 あ、今俺のことを爆死しろって思ったろ? 客観的にみて、それは否定しねぇ。 だが、一つだけ言っておく。 カレー六杯は……死ぬほどきついぞ(グリーンリバーライト風) つーかキッチン六つとか半端じゃねぇ。槇島の財力すげー。 一番キッチンで奮闘しているのは我が妹の桐乃である。 オーケー桐乃、少し冷静になろうか…… どうしてお前はナマコとウニとワカメとクラゲとカレイを鍋に入れてやがりますか!? 「シーフードカレーってアンタ知らないの?」 うわー、超馬鹿にした表情で言いやがったよコイツ。 俺の知ってるシーフードカレーの具はイカとかエビとかなんですが! 「だってウニの方が高いじゃん? ワカメは髪の毛にいいっていうしさー カレイとかカレーに入れるからカレイって名前なんでしょ?」 お前みたいな価格至上主義者が料理を滅ぼすんだよ! っていうか俺の髪の毛の心配は二十年は早いっての! それからカレイに謝れ! ヒラメに間違われた事はあっても カレーに間違われた事は彼の魚生の中で一度もなかった筈だ! というかお前、それ本気で言ってるなら成績優秀設定って嘘だろ!? 「シーフードカレーとか、他の連中は作ってないだろうし 完全にルート見えたわね、あたしの一人勝ちの♪」 ……いや分かっていた、分かっていたんだ。 こいつの料理が破滅的だって事は分かっていたのに それでも俺は心のどこかで「普通のカレーを作るならそう酷くはならないだろ」なんて考えてた。 けど桐乃は「ちょっと凝ったカレー」を作ることで俺の予想の斜め下を言ったんだ。 コイツの兄として、コイツの行動を読むことが出来なかった俺のミスだ。 それに気づいていたなら、俺はそもそもこの舞台から逃走していた。 つまり俺の胃袋は、桐乃のカレーを食べるという選択をした時点で敗北していたってことだ。 雪道を潜水艦で突っ走るという荒技を行っている桐乃の横、 二番キッチンでは黒猫がトントンと安定感抜群の包丁の音を鳴らしていた。 普段から家事の手伝いをしているだけあって手慣れている。 ゴスロリの上から割烹着という格好以外は。 黒猫のキッチンにはカレーのルーが二箱置いてある。 勝負を公平にするために、カレールーは同じメーカーを使うルールらしいが 甘口と中辛、二つが用意してあるのは、どういうこった? 「味を調整するのよ。甘口と中辛の間ぐらいにね」 でもここにあるのはリンゴだろ? カレーをリンゴに入れるのって、甘くする為だよな。 「口当たりを良くする為でもあるわ。それに、リンゴの甘さとカレーの甘さは別よ」 ふーん。そういうもんなのか。 でも俺、辛口の方が好きだけどな。 「ッ!?! ……し、しまったわ、つい妹たちと同じ嗜好に……私としたことが……」 お、落ち着け黒猫! べ、べつに甘口が嫌いだとかそういう事はねえ! だからルーを全部入れるのは止めろ!! 鍋に対して二倍の量のルーが投下されてる!! ……俺が余計な一言を放ったせいで、一つの安全地帯が消えてしまった。 し、しかし、安全地帯は一つではない。捨てる神あれば拾う神あり。 俺の目の前、三番キッチンには黒猫以上の技術で切り分けられた野菜達が整然と並んでいる。 ニンジンとか花形に切られているし。何この技術……お嬢様って料理しないんじゃなかったの? 「そんなことこざいませんわ。むしろ料理は淑女のたしなみですもの」 なるほど。確かに桐乃は淑女からは程遠い。 それはそれとして、「お稽古ごと」に料理もしっかり入ってるのが本物のお嬢様ってわけか。 しかし庶民のカレーライスまで網羅しているとか、流石だな兄者…もといバジーナ。 「……ところで京介お兄様、クミンはどこにあるのでしょう?」 え? 引っこ抜かれたんじゃない? 「それはピクミンですわ。ガラムマサラもありませんし、ターメリックも……」 よく分からないが、それって調味料だよな? 「香辛料といった方が正しいと思いますが。カレー粉をつくれなくては カレーライスを作るのは不可能というものでございましょう? カレーは同じ物を用意してあると伺っていたので、買っておりませんの」 ……さすがお嬢様の料理はレベルが違った。 カレーライスを作る時でもカレー粉からという本格化。 お袋に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぜ。 「ハッ…!? まさかこのルーという物がカレー粉の素材!?」 いや、素材というよりカレー粉そのものです。 って、ルーを直接火で炙るんじゃねぇえぇぇ!! ダークマター!? ダークマター錬金してんの!? 何と等価交換するつもり!? 俺の命?! シャングリラもアルカディアもこの世から消えてしまった…… それでも俺は四番キッチンへと向かう。 そう、例え俺がオタクっ娘たちのカレーによって命を落としたとしても 勇敢なる魂は戦乙女(notサトウユキ)によってヴァルハラに連れて行かれる筈だ。 つまりラブリーマイエジェルあやせたんのカレーである。 おぉう、まさかあやせたんの手料理を食べられる機会が訪れようとは 俺の心の中の悪魔が時の鍵で解放されてしまうぜ。 「それはどういう意味ですか、お兄さん。察するにあまりいい意味とは思えませんけど」 つまり毎日みそ汁も一緒に作ってくれってことだ、言わせんなよ恥ずかしい。 「え…あ…そ、それってプロ、プロ………ああ!!?」 ど、どうした!? 「お兄さんが変な事いうから、計量に失敗したじゃないですか!!」 け、計量? 「ちゃんとレシピ通りに作らないと美味しい料理はできません。 だからこうやって水の量とか、野菜の量とかお肉の量とか 正確に……む、1グラム重いですね。減らさないと……えい! ……今度は4グラム足りないなんて……足さないと!!」 あの、あやせさん? スイーツじゃないんだから、そこまで厳密に計る必要はないのでは? 「何を言ってるんですかお兄さん! じゃあレシピに載っていた数字は何なんですか! 適当な事を本に載せたって言うんですか! そんなものが本になると思ってるんですか!」 大多数の人間はそう思ってると思うぞ…… むしろお兄さんは一種のスイーツ脳にびっくりだ。 ……時間制限以内であやせのカレーは完成しないかも知れない。 水に生の肉と野菜をつっこんだものを食べさせられるんだろうか、俺…… 五番キッチンの主には、正直期待していない。 期待度でいえばブービーである。(最下位は本人には絶対に言えないが、桐乃だ) 「つーかよぉ、なんでオメーそんなビクつきながら厨房覗いてるワケ? カレーなんてそこらのガキでも作れんだろ。具材切ってルー入れるだけっしょ?」 加奈子の言うとおり、鍋にはニンジンとジャガイモとタマネギと豚肉が煮込まれている。 野菜の大きさは不揃いだし、タマネギは煮込む前に炒めた方がいいだろとか そんなちゃちな事はこの際どうでもいい。 むしろ野菜の大きさが不揃いな事が、見た目の食欲を誘うし タマネギが残ってるのも、タマネギの食感を味わう事ができるとも考えられる。 「あんだよ? テメー加奈子がカレーの作り方も知らないとか思ってたワケ? んで見に来たっての? ナメてんじゃねーぞ、ゴラァ」 い、いや、加奈子の様子を見に来たのは、加奈子が包丁で怪我しないか心配でさ…… 「は? オ、オメーに包丁の使い方教わるようなレベルじゃねーっての。 ま、まあ加奈子の宝石のような指に傷でも付いたらってビビっちまうのはわかるけどサー」 いや、お前、そのまな板の上にあるのはピーラーだろ? 皮むき器だろ? ま、その鍋の中にあるのは紛れもない普通のカレーだって事に変わりはないけどな。 かなかなマジ天使!! 「な、な、何当たり前の事言ってくれちゃってんだよ、オメー…… う、うっとうしいからブリジットのトコにでも行けよ。 あいつは加奈子と違ってガキだからよー、包丁持つのもフラフラだし 馬鹿だからカレーの作り方なんてわかりやしねーと思うぜぇ。ケケケ」 加奈子に言われて六番キッチンにやってきたわけだが 「うん、ばっちし!」 バターで飴色になるまで溶かされたタマネギのみじん切り 熱が通りやすいように、微妙に切り分けられたサイズの違うニンジンとジャガイモ ハーブと一緒に寝かせて臭みを消している牛肉 お湯に溶けやすいように刻まれたカレールー 味を調える為のチョコレートやケチャップ ポニーテールでエプロン姿のブリジットは、ちょこちょこと台に乗ると 鍋の中に具材と水を注ぎ始めていた。 ……あれ?「ひとりでできるもん」って外タレ使ってたっけ? 「あ、マネージャーさん! お腹空きました? もう少しまって下さい!」 お、おう……その、大丈夫か、包丁とか。 「大丈夫ですよ! 包丁を使うときはキチンと猫さんの手ですよ。にゃーって」 萌え。 最高のスパイスがこんな所に存在したよ、オイ! ……そんなワケで、こいつらから出されたカレーを六皿、俺は食べきったわけだ。 「一番美味しいカレーだけ食べればいいのよ。勝負なんだから!」とは言われてたけどよ 味に差はあれ、みんな俺の為に作ってくれたんだ。 それを残すとか、そんなことできるわけないだろ? うぷ…っ 腹が阿修羅すら凌駕しそうな勢いだ…… 胃はセンチメンタルな苦しみを抱かずにはいられない。 けど、食器片づけねーとな。 「い、いいよ、あたし達がやっとくからさ」 飯食わせて貰ったんだ、皿洗いくらいさせろっての。 「ウザッ! さっさと帰れ馬鹿兄貴!」 なんで!? なんか俺間違ったこと言った!?! 「京介氏、これは勝負でござった。しかし京介氏は全てのカレーを食べてしまった」 「まあ、食事の速度をみれば誰が勝者で誰が敗者なのかは一目瞭然だけれども、ね……」 「やっぱ加奈子が一番だったって事だろ」 いや、一番はブリジットだ。 「とにかく、敗者は明白であるのでござるから、 彼女たちには罰ゲームぐらいあっても罰はあたらんでござろう。 つまり皿洗いでござるよ。そういうわけで、京介氏の皿洗いはお断りするでござる」 さりげなく自分を除外しているが、お前のダークマターも モデル二人に匹敵するぐらい酷かったからね? まあわかった、そういう事なら、俺はこれでごちそうさまのさよならするわ。 今日はありがとな。 楽しかったし、おもしろかったぜ。 ガチャ 「ふ…勝者を選ばないなんて、つくづく甘い男だわ」 「まあよいではござらぬか、黒猫氏。その京介氏の優しさが 拙者達に余計な争いをさせなかったのでござるからな」 「みんなマネージャーさんのスプーンをゲットできて良かったね!」 「お兄さんが舐め回したスプーン……ふぅ……」 「あやせ賢者タイム早すぎだってのwww……ふぅ…」 「……スンスン……兄スプーン強烈すぎぃ…兄貴の臭いがバルーンいっぱいぃぃん…… ……ペロペロ…アニのカリー、スパイスききすぎ! 唾液でこの激臭ってどういうこと!? 唾液でこれとか、 あ、あ、兄貴のニンジンのカリ首はどんな悪臭なの?! キモッ そんな悪臭を妹に食べさせちゃうの?! カレーの辛さをヨーグルトソースで緩和しちゃう?! 兄貴マジ変態!? 女体盛りとか、脳味噌腐ってんの? ありえないし! べ、別に兄貴盛りならいいとか、そういう意味じゃないし。 食べるとか食べられるとか、そういう問題じゃないわけ。 どっちかって言うなら食べられる方がいいけどさ。そ、そうじゃなくて! じゃ、「じゃあ食器にしてやる」!? アンタ、どこまで鬼畜なの? 妹を食器扱い? シスプーンとしてペロペロしちゃうの!? 食事は一回で終わりだけど、食器はずっと使うから? ペロペロするだけじゃなくて、ずっと側に置いちゃうわけ!? アンタどんだけ独占欲強いのよ!? 永久にあたしを自分の物にするとか! 食器でいうと銀製? シルバー? あたしに汁ばっかかけても錆びないように!? アンタ鬼畜のくせに、狼なくせに、銀がきかないってありえなくない? 超越しちゃってんの? 男は狼なのよアリスSOSする為に銀の弾丸超越しちゃった狼男?! 兄貴ウルフ極まった! シスコォーンの獣になった! フロンサックとかマニとかでも退治できないモンスター、妹愛したぁ! 兄貴のポケットモンスターにあたし犯される! 犯されちゃう! スプーンじゃ無理っ! 抵抗できない! ウルトラマンにも変身できない! スカイドンより速い兄貴の子種の落下速度で妊娠確実ッ! あうう……もう駄目ェ…スプーンであたしの頭はプレーンになっちゃう 飾りのないあたしの身体も心も兄貴にプレゼントしちゃうぅぅん! お、お礼なんだからぁ、あたしのカレー、ホントは美味しくないのに 全部食べてくれたお礼なんだから、う、受け取らないと駄目なんだからね!」
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http //pele.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1316537661/687-698 「―――――いってらっしゃい、お兄さん」 そう笑顔で言った時わたしの"過ち"は……終わった筈だった。 いつも……桐乃を見ていた。 わたしの大切な親友、そして目標。 きっとわたしは、桐乃と出会って以来ずっとずっと彼女の後を追いかけていた。 桐乃は綺麗で、頭も良く、スポーツも出来る才色兼備 でも単純に天才と言うわけではない(もちろん才能は凄くあるのだろうけど) 他人には絶対見せたがらないが桐乃が人一倍努力をしてる事をわたしは知っている。 小さい時から引っ込み思案で、内省的なわたしがモデルの様な派手やかで 他人との繋がりを求められる職業に就いてるのは100%桐乃の影響なのだ。 単純に桐乃の様に(正確に言えば桐乃そのものに)わたしはなりたかった。 わたしがカメラの前で笑顔になれるのは、桐乃のおかげ。 もし桐乃が太陽ならわたしはきっと月なのだ。 桐乃が照らしてくれてる限り…………わたしは輝ける、静かに。 でもいつか…わたしも桐乃みたいに人を照らすようになりたい。 それは肯定的に言えば憧れで、同時に月光が届かないわたしの影には 言葉に出来ない葛藤があった。 だから、いつも……桐乃を見ていた。 そして桐乃の中にもわたしの様に、桐乃を輝かせる太陽があった事に気付く。 ―――いや気付くと言うよりも本人が公言していたようなものなのだけど。 それは京介さん…桐乃の兄であり、わたしにとっては単なる親友の兄。 初めて会った時の優しそうな印象 ―――あの時は何の為にあんなに必死に郵便の箱を 桐乃から引ったくってたのかは分からなかったけれど、きっと桐乃の趣味の物が 入ってたんですよね?お兄さん。 わたしが連絡先を交換して欲しいとお願いした時、ちょっと怪訝そうな顔をして …………わたしが誰とでも簡単に交換する女の子に見えましたか? わたしがあんなお願いをした男の子はお兄さんだけ。 ついでに着信拒否したのもあなただけ―――なんですよ、お兄さん。 「ねえ、ねぇお兄さん…わたし達が初めて会った時の事って覚えてますか?」 手錠したまま深夜わたしの家に来て、仲直りした後お兄さんは 風邪を引いしまった。 どうやら、わたしのせいでちゃんと寝てなかったらしく、お詫びのつもりで お兄さんを看病している。 ―――もちろん理由なんて無くても看病するつもり 「ああ、あの時は綺麗な子だって思ってたんだが…まぁ」 体温計をくわえたまま、わたしに返事するお兄さん 「あの時は?あの時は??あの時は?!」 「い………今だって、あ、いや今の方がずっと綺麗です、あやせさん。 そういや、初めて会った時か。 おまえの部屋で、おまえに手錠された時に言われたよな? 出会った瞬間から俺の事が好きで好きでしょうがないって」 「だからそこまで言ってないでしょ! ただちょっぴり仲良くしたいって思っただけだったんです 本当に、ただ…それだけ……」 「あの後、おまえに変態認定されしまったのが、あのコミケの時からだよな? 俺らってあのコミケで偶然会わなかったら、どうなってたんだろうな? もっと早くこうなってたのか?それとも……」 偶然、コミケでお兄さんと桐乃に出会したとき 我を忘れて桐乃を―――桐乃の手を思いっきり強く握って問いつめた、あの時 桐乃の趣味への偏見で、わたしはどうにかして、桐乃の目を覚まさせたいと 願った。 わたしの桐乃が、わたしの理想である桐乃があんないかがわしい物に 執着してるのがどうしても許せなかった―――生理的に嫌悪した。 でも桐乃は結局こう言った――― 『親友も趣味も捨てられない。どちらか一方を捨てたら本当の自分じゃなくなる』 ―――と。 それでも納得出来ないわたしへ、桐乃に愛の告白をして お兄さんが仲直りのキッカケを与えてくれたあの瞬間 きっと本当は桐乃が凄く羨ましかったんだ。 その時は変態の兄から妹を守る体で桐乃と仲直りしたし ずっとそのつもりでわたしはあの兄妹と付き合うつもりだったのは 嘘じゃないけど。 『ぶち殺す』 がお兄さんに対するわたしの挨拶になったのはその時から。 そう言う限りわたしが桐乃の様に親友と"何か"の二択で選択を迫られる事は ないと思ったから。 もちろん最初から意図したわけじゃないし、元々のわたしがそういう乱暴で激しい 気性を持つ女の子だったのは否定しない。 『桐乃に手を出したらぶち殺します』 とメールした時―――何故殺さなければならないのか? その時のわたしは桐乃の貞操の為だと一応納得していたし あの喧嘩の後、 桐乃がわたしにいつもお兄さんの話をする様になったのだけど………… 桐乃のお兄さんに対する"キモイ"とわたしの"ぶち殺す"は同じものだと 確信するのは、ずっと―――ずっと後になってからだった。 それなのに、わたしの気持ちを知ってか知らずかお兄さんはわたしの事を 可愛いと褒めあろう事か結婚したいなどと軽口を叩いた。 もちろん分かってるのだ、冗談なのは本来なら、たわいのない、悪意のない、 意味のない言葉なのは…………十二分に。 なのに―――それなのに、わたしは 本当のお兄さんは、もちろんわたしの方向を見てるわけじゃなくて… 桐乃やお姉さんの方をいつも見ているのは分かっていた。 お姉さんの事は、麻奈実さんの事は桐乃とは違う意味で尊敬している。 いつも余裕があると言うか、自然体と言うのか。 月並みな言い方をすれば癒し系なんだろうけど、この人の芯の強さはきっと 桐乃やわたしの比ではない。 わたしがお兄さんに"ぶち殺す"と言うよりも、お姉さんが優しく正論で諭す方が お兄さんは堪えるに違い。 お兄さんにとって一番大切なのは桐乃、女性として好きなのはお姉さん お兄さんに黒猫と言う彼女が出来るまでは、それがわたしが漠然と抱いた印象だった。 これはお兄さんと付き合って確信した事で、わたしがお兄さんのエッチで いかがわしいコレクションを捨てさせた (最初はそこまで神経質に考えなかったし、本当は許してあげるつもりだった) 理由は結局、お姉さんに対する嫉妬………。 それも単純な嫉妬じゃなくて、罪悪感と言う名前の嫉妬からだった。 本からDVDまで『大きな胸』で『眼鏡』の女の子のオンパレード… しかもショートカットの女の人が多い、まるでわたし自身を否定される 錯覚すら覚えてわたしは表面では、我を忘れて怒り狂ったふりをしたけれど… 本当は凄く悲しくて、それに申し訳なかった。 この前のDVDにしてもそうだった。 わたしにだってプライドがある、でもお兄さんが望むなら眼鏡くらいかけても、髪型だって。 "本当のわたし"は優しくしたいのにお兄さんに喜んで欲しいのに…… "嘘つきのわたし"がいつも―――いつも、その邪魔をする。 それでも今のわたしは狂喜したいほど、怖いほど幸せ 道を歩くだけで小躍りしたくなり普段、何気なく鼻歌まで歌うほど………に。 「♪」 わたしはおかゆを作りながら…無意識にハミングしていた。 「偉くご機嫌だな…おまえ」 パジャマ姿のお兄さんがわたしに聞いてくる。 「もう寝てないとダメじゃないですか!お兄さんは病人なんですよ」 「言うほど病人ってわけでもないんだぜ。それにさ…何かさ」 「何ですか?」 「あやせのエプロン姿って可愛いなぁと思って」 「はいはい、有り難う御座います。さ、もう寝てください早く」 「あ・や・せ~」 と言いながら抱きついてくる………お兄さん 「はぁ~、もうっ!ほんとうに京介ちゃんは赤ちゃんでちゅね」 とこの前の桐乃の真似をするわたし………。 「ぐ…まだ怒ってんのか?」 あからさまに恐怖の表情のお兄さん。 「どう思います?お(兄さ)、京介ちゃん?」 全然怒ってないですよ、本当に全然。でもちょっぴり意地悪をする。 「お、おやすみなさい…あやせさん」 相変わらずのヘタレだけど―――そういう情けないあなたも今は愛しい。 ううん……そうじゃない 桐乃やわたしや加奈子の為に傷だらけになりながら必死に頑張るお兄さんが ずっと愛しかったんだ。 その姿はスマートじゃないし、全然格好良くもなく、今の顔みたいに情けなくて、 笑ってしまうのに……しょんぼりしていた背中を抱きしめたかった、 ずっと前から わたしが密かにそう願った所で、現実にはお兄さんの周りには いつも女の子が居たし、お姉さんを差し置いて、黒猫と言う子 (泥棒猫なんて言ってしまったけど、きっと彼女もわたしと同じだったと 今なら冷静に考えられる) と付き合うと聞かされた時にこの気持ちを封印した。 ―――それが一度目の失恋。 なのに、彼女と別れたと聞かされて勘違い(と言うよりもそう思いたかった。 わたしのせいで別れたと、それほどわたしは浮かれていた)を否定されて 今までのわたしに対するセクハラ(これも冗談だと分かってたけど)も 二重に否定されて、お兄さんの事は完全に諦めようと誓った。 ―――これが二度目の失恋。 だからあの日、加奈子のライブの時 わたしの前から立ち去ろうとしたお兄さんにわたしは 『いってらっしゃい』 と言った。 例えどんな形でも…………二度とわたしが希望する未来をお兄さんと 一緒に迎える事は絶対に不可能だと知ってしまったから。 自分の中で納得したつもりだった。 わたしの勘違いで独りよがりだったのだから、わたしさえこの気持ちを忘れれば、 何の波風も起こさないで済む筈だった。 桐乃やお姉さんの為にはこの気持ちを誰にも悟られてはいけない…………。 (流石にお姉さんだけは全部分かっていたけど) だから今度こそ綺麗さっぱり、全部忘れるつもりだった。 そう決意したのに、わたしの記憶は、ウエディングドレス姿の桐乃と手を繋ぐ お兄さんを見た瞬間から、その直後の事を思い出す事が出来ないほどあやふやになる。 辛うじて覚えている事は 『親友も趣味も捨てられない。どちらか一方を捨てたら本当の自分じゃなくなる』 と言う桐乃の声のリフレイン―――さらに桐乃は続ける 『、、、、これが本当のわたしなの』 ―――と。 もう一つだけ…………… あのコミケの時に桐乃を問いつめて、彼女の手を強く握ったわたしの手が 今度は、桐乃の手を握っていたお兄さんの腕を掴んでいた事 ―――あの時より何倍も強く。 結局あの日はどうやって家に帰ったのかすら覚えていない。 ただ、誰にも言い訳の出来ない純粋な罪悪感だけが残った。 「出来ましたよ、お兄さん、お口に合うか分かりませんが、どうぞ召し上がれ」 「有り難うな、あやせ…………俺、今、猛烈にリア充って気がしてるわ」 でも何故か、お兄さんはわたしが用意したスプーンを手に取ろうとしない。 「どうかしましたか?お兄さん…え?」 確かに、お兄さんはどうかしていた。 ニコニコしながら口をまるで鳥の雛の様に大きく開けて、 エサを催促する様な目でわたしの目を見る。 「あ、いや…………すまん、いただきます」 しかしわたしの呆気に取られた顔を見て0.5秒足らずで辞める、相変わらずの ヘタレさ加減。 「もうしょうがないですね、ふぅふぅ…熱いから気を付けてくださいね。ほらあ~ん」 この前の桐乃の事を気にしてるのかな…本当に怒ってないのに。 「あ~ん(ぱく)…うん、うめぇ。 正直あんまし食欲無かったんだが、これならちゃんと食べられそうだ」 と言いながら美味しそうに完食してくれた。 洗い物が終わった後、お兄さんがおねだりするので、膝枕をしてあげる。 「もう容赦無く、わたしに甘える様になっちゃいましたね、京介さん」 「あれ~ダメだったのか?」 と言いながら太ももに頬をすりすり、手も変な所を触ってくる。 「いいえ、全然? もう男の子はそういう生き物だって、わたし分かってますから。 …………それがたとえ、処女厨の京介さんでも」 「ひ、人聞き悪いな、一応、結婚までそういう事しない約束…だった…筈…だろ」 動揺するお兄さん… 「確かにそうでしたね。 結婚までそういう事しない筈のに、わたしはお口で何度も何度もしたし お見舞いに来てくれた時、お尻が紅葉色になるまでぶっ叩かれましたけど。 ―――そして今もそのお尻をあなたに悪戯されてますけど それでもわたし達は清き純粋な交際ですものね、お兄さん♪」 「ぐ……い、いや、正直言うと滅茶苦茶………でも」 と幾分恐れながら、しっかりセクハラは続ける京介さん。 「でも…?」 お兄さんが深夜、わたしの家に来て仲直りしたあの夜から………… わたしが"儀式"の話をしようとすると…必ずキスされてそれ以上話す事を 禁じられた。 お兄さんが焦ってる姿を見るのが可笑しくて何度も―――何度も その話をしようとした。 まだ風邪が完全に治ってないわたしの口を何度も何度も塞いで 風邪を引いてしまったのだ……………わたしはやっぱり悪い子なのかも。 「何でもねぇよ。…………あやせ、俺は病人なんだから、優しくしてくれよな」 多分、その話になるのを察したのか、お兄さんは話を途中で辞めた。 「ふ~ん。 わたしは………今の話凄く興味があるんですけど?」 風邪引いてるから優しくしてあげたいけど……… しかし今度はキスじゃなくて電話の着信で中断させられる。 お兄さんは僥倖とばかりに電話に出る。 「もしもし、おう黒猫か…ああ、元気だぜ。風邪は引いてるけど、元気なんだって」 わたしの様子を気にしながら幾分大きな声で話す、お兄さん。 「…………」 別に嫉妬なんてしてませんよ、お兄さん。 でもわたしの視線が気になるみたいだからわたしは紅茶を 煎れて飲もうと立ち上がろうとしたの………だけど お兄さんはわたしの左手を―――左手の指に、 自分の右手の指を絡ませて、引き寄せる。 ―――わたしは抗議の目でお兄さんを睨め付けるが……………… 「ああ、確かに今年の風邪は、かなり執念深くて、たちが悪い…と思う」 お兄さんは知らんぷりしながら、楽しそうにおしゃべり………。 わたしは首を振って意思を伝えると、両手の力を込めて 手を引きはがそうとするが………何処から出したのか わたしの手錠をわたしの左手と自分の右手にはめて 今度は、有無も言わさずにわたしが身につけていた ―――この前お兄さんがわたしにプレゼントしてくれたチョーカー まで外された。 この人……普段はヘタレの癖に、時々キザな真似をする様になった。 ハァーこれに逆らえないって事はわたしもすでに洗脳されてきている証拠なんだ。 だって、わたしはその事がとても―――とても嬉しかったから 「うん、うん…ああ、フェイトさんだろ、あの人って今…マジでか、凄いよな。 ああ、どうやら噂では、、ははは…そうだよな」 誰でしょうね?フェイトさんって 本当に、本当に別に全く気にしてないけどわたしは自分の携帯を取り出すと メールの文章を作って、お兄さんの右手を引いて注意も引く 『フェイトさんは女性?』 肯くお兄さん……………まぁ良いでしょう。 別に全然、全然気にしてないんだから。 「え?う~ん…それはちょっと言い過ぎだろ、おまえ。俺泣いちゃうぞ…」 凄く嬉しそうにお話をしているお兄さん……べ、別に良いんだ。 お兄さんが笑顔ならわたしも……嬉しいからさ 「へぇ日向ちゃんってそうなってんのか? いいや、確かにちょっと大人びてる感じがしたけど、しばらく会わないうちに おいおい…辞めろよ、そんな意味じゃねぇし。 こらこら!俺をあいつみたいな扱いするのは勘弁しろって」 誰でしょうね?日向ちゃんって 「分かった、分かった。 日向ちゃんにも、珠希ちゃんにも俺が会いたいって言ってたと伝えてくれよ うん……ちゃんと、約束で良いからさ」 誰でしょうね?珠希ちゃんって お兄さんは本当に楽しそうにお話していた ―――きっとわたしが知らないお兄さんを黒猫と言う子はよく知ってるんだ。 お兄さんとわたしの共通の話題は、わたしがお兄さんと話す口実はほとんどが 桐乃だった、でも、わたしは………………その桐乃に対して 桐乃が何故、ゲームやアニメをお兄さんにやらせていたのか? 何故、この前も家に来てパソコンを渡したのか……今更ながらに納得してしまう。 黒猫…さん・・・・黒猫さんをわたしが見たのは多分一度だけ。 ―――それもやっぱりあのコミケの時だった。 凄い格好をしてたけど、美人だった…気がする。 彼女はお兄さんと付き合って、ある理由があって別れた。 そんな彼女とお兄さんがいくら電話で話しても、いくら家に遊びに来てても (そう、お兄さんは自分がストーカーになると言ったけれど、わたしの方こそ 本当にストーカーみたいなものだった。お兄さんの家に黒猫さんやお姉さんが 遊びに来てる事、全部ちゃんと知ってるんですよ) 彼女を責める事なんてわたしには絶対に出来ない(資格なんて無い)のだ。 どうやら電話の話を聞く限りは、ゲームを作る話らしい。 前にお兄さんは部活でゲームを作ってたらしいけど、 それを今は黒猫さん達とやっているみたい。 そしてわたしが知らない四人目の名前を耳にする事になる。 「あ~瀬菜? …………赤城の奴はあいつはこの前、あんな事が有ったのに 相変わらずあの趣味だからな」 多分、お兄さんはわたしが電話の話を聞きながら難しい顔をしていたから 女の子の名前を言う事に、気が引けて言い換えたのかもしれない…。 そんな事で―――ハァ~やっぱりもっとお兄さんに優しくしてあげよう。 "ぶち殺す"とか"処刑する"なんて言葉を二度使ってはダメなのだ… もうわたしがお兄さんを縛る必要はない。 お兄さんがいくらでもキザな事をしてその事に身を任させられる様に 今みたいな形がわたし達の理想なんだ、きっと そう思って…ふと…違和感を感じる。 この前のエッチなDVDをわたしが発見した時、 わたしに三角締めをされながら言い訳してた。 あの時お兄さんは……………… 『「と、友達の赤城と言う奴が 『おまえ、彼女いるのにやらせて貰えないんだって?(笑)』 とか言って同情してくれて…つい出来心で」』 と言った。 友達の"赤城"と言う奴が…あかぎ、アカギ、赤城…赤城瀬菜 ………エッチなDVD……ざわざわ… お兄さんは女の子の友達にわたしとの性関係の相談をしてて しかもエッチなDVDまで貰っていたのだ…………!!!! わたしは携帯で文章を打つ、途中で手が振るえて何度か打ち損じた…… 『あかぎせなさん はわたしより胸大きくて、眼鏡かけてますか? それにショートカット?』 その後、電話が切れてたのに、お兄さんは携帯で独り言を話してたのに 気付くまでにしばらく時間がかかった。 桐乃なら、お姉さんなら、黒猫さんなら ―――今ならまだ怒りが抑えられるけれど 関係ない知らない女が(に)そんな事をされて、笑って許せるほど わたしは甘くはない。 わたしは自分でまたチョーカーを付けた、この作業をせずに怒り狂ったら また前みたいになりそうだったから…だから少しだけ冷静になった。 「お兄さん…………尋問があります YESかNOで答えて下さい―――良いですか?」 「はい?あやせ………さん…ど、どうかし」 「YESかNOって言ってるでしょ!!!! 本当にぶち、ぶち殺されたいの?!!!」 「の、の、NOです、あやせさん……」 「おっぱいが好きなんでしょ! そしてわたしのじゃ、わたしは大きくないからお兄さん好みじゃないから ……………だからっ、だからっ!」 何に怒ってるんだろう?、わたしって 「YESだけど、NOだぞ…………だ、だから突然、何を言い出してるんだ?」 「ちゃんと分かってるんです……わたしだって お兄さんセクハラしてもお尻とか太ももとか足ばっかりだし。 でも、でも、でも…」 と言ったら…突然、無言のお兄さんに胸を揉まれてしまった…。 「ちょっと…真面目に話しを…あ、もう…」 一心不乱に…服の上からだけど、触り(られ)続けると……わたしは 「あん…わ、わかりました…はぁ…うん…もう…わかったから、お兄さん…」 離れようとしても手錠のせいでそれも出来ず、お兄さんに わたしは強引にずっとされたまま 「ご、ごめんなさい、京介…さん、きょう、ゆ、許して はぁはぁ……………あ、謝るから…もう許して…ください」 多分、この前の夜から、こういう時の立場が逆転しちゃったみたい でもこれも全然イヤじゃない……のだから、しょうがない。 「それで何を怒ってるんだ、おまえ?突然、瀬菜の話なんてして… あいつは、普通に俺のダチの妹ってだけなのに」 事情を話して、誤解が解ける…そうか、流石にお兄さんでも 友達の女の子にそんな話するわけない (でも巨乳で、眼鏡で、短めの髪って偶然かな?) はぁ………わたしって本当に怒りやすくて、ダメな子だ………。 「いいぜ、気にしなくても、それにおっぱいが何だって? こんな風に………もっと揉んで欲しいんだよな? 俺としたら何の異存も無いぞ…………ご褒美過ぎるだろ」 「もう風邪なんだから、これ以上は本当にしちゃ駄目、ダメですよ。 もっと続きしたいなら早く良くなってください、分かりましたか?」 「へ~い」 と素直な返事したものの、色々な箇所の触り方が凄くエッチになっていた。 わたしは……………結局そのまま自由にさせてあげ(たいからさせ)る。 「熱は下がったみたいですね、まだ顔は赤いし息は荒いようですけど…ふふ」 「まぁ俺は風邪だけじゃなくて、あやせ菌にも感染してるみたいなもんだからなぁ」 「もう、わ、わたしをバイ菌みたいに言わないでください!! いくらお兄さんが病人でもぶち殺しますよ?!」 「そういう病ってことだよ。一生治らない不治の病だから、白衣じゃないけど 俺の天使に治療して欲しいなと………思ってるんだ」 お兄さんにはバレてなかったけれど、そう言われて わたしも気分が高揚して呼吸が乱れる…………。 お兄さん知ってました? ―――その病気なら、ずっと前からわたしは感染してるってこ・と・ 自覚症状に気付いたのはあのライブが終わった後、 お兄さんがわたしの為に電話してきてくれたから。 その時もわたしは混乱したままで、何を話したのか正直あまり覚えていない。 話した内容よりも、お兄さんがわたしの事を気遣ってくれて、電話してくれた その行為そのものだけで………わたしは幸せだった。 "わたしの為だけ"に心を砕いてくれて、そのことが嬉しすぎて 頭が変になるほど満たされて、わたしは電話の途中で声を殺して泣いた。 『――――いってらっしゃい』 と笑って言った時、諦めようと思ったから、きっと家に帰って ベットの中で一人で泣くんだろうなと思っていたから …………だから でも同時に桐乃やお姉さんの事を考えると胸がとても苦しくなった。 だから最初の半分は嬉し涙だけど、残りの半分の涙はその嬉しさに気付いて 心苦しくなったせい。 お兄さんには気付かれてたのか、どうかは分からない。 その後も時々、馴れてくると毎日、お兄さんはわたしに電話をしてくれた。 二人共受験生だったし、表向きの理由は息抜きでお互いに納得したつもりだった けれど それまでの人生で桐乃や加奈子と一緒に過ごす時間がわたしの幸せだった。 お姉さんとお菓子を作ったり、二人で遊ぶ事にも喜びを見いだしていた。 モデルのお仕事を頑張ってスタッフさんや読者の人達に評価して貰えるのが わたしの生き甲斐だった。 ………その筈だった なのにお兄さんと夜ちょっとお話するだけの時間が、 何よりも―――お仕事よりも、友達よりも、お姉さんよりも、桐乃よりも ―――わたしの大切な時間になった。 本当はもう、自分の気持ちは分かっていた……あなたが好きだと。 お姉さんの幼馴染み、桐乃のお兄さん―――京介さんの事で頭も胸もいっぱい。 それでも意図的に自分から電話しない様にした、お兄さんが電話しなくなれば この気持ちも自然に消えて、全部元に戻ると自分自身に不自然な嘘をついた。 自分から一度でも連絡すれば、もう絶対に後戻り出来ないと分かっていた。 そして事実、その通りになった。 ある日、モデルとしての撮影のお仕事があった。 おそらく、前に桐乃がやった撮影と同じ内容の企画。 きっと評判がよくてその第二弾に、新たなモデルのうちの一人として わたしが選ばれた。 わたしの衣装はもちろん、ウエディングドレス……だったけど 「"白衣じゃない"で思い出したんですけど、ねぇ…お兄さん わたしが京介さんに見てもらった、ウエディングドレスのこと、覚えていますか?」 また膝枕をして、お兄さんの頭を撫でながら、訊ねる。 「ああ…確かにあれは白衣じゃなくて、黒衣の天使って感じだったな… もちろんちゃんと覚えてるし、綺麗だったよ」 「あの時、わたしに言ってくれた言葉…もう一度言って貰っても良いですか?」 「あやせ…もしかしてセクハラでムカついたりした?」 セクハラをにわかに辞めて、わたしの顔を見つめるお兄さん。 「全然、ただお兄さんに言って欲しいだけ…それだけです、ダメですか?」 多分、本当にただそれだけ 「『俺が見た中で、あやせのウエディングドレスが一番似合ってたし、一番綺麗だ』 ったよ」 ……………それは 黒いウエディングドレスを身に纏ったわたしが無理やりお兄さんに言わせた言葉 お兄さんがお姉さんと仲が良くても我慢したし、黒猫さんと付き合っても我慢した。 でもお兄さんの隣に桐乃があの美しいウエディングドレス姿で並んでる事を 想像すると、どうしても我慢が出来なかった。 わたしは撮影していた場所までお兄さんを呼び出した。 本当に今でも何を考えてそんな行動をしたのか?分からない。 でも………もうそれ以外選択の余地なんて、きっと無かった。 前半は全く上手く行かなかった撮影がお兄さんに言葉をかけられただけで、 (本当に大した言葉ではない、何気ない言葉、普通の言葉) お兄さんに優しく手を握って貰った、たったそれだけの事で 魔法がかかった様に、カメラマンも自分も驚くほどにわたしは変わった。 ―――わたしが"誰かの"偽物じゃなくなった、瞬間だった。 黒い妖艶なドレスは偶然わたしが身につける事になっただけ。 でもその白さえ、罪悪感さえ、葛藤さえ、友情さえ、信頼さえ 一色に塗り潰す漆黒はわたしの中のお兄さん以外の思いを糊塗…し…て… ―――いいや………そうじゃない…あの姿が、あの色が本当のわたし 今まで京介さんへの気持ちを誤魔化していた。 自分に嘘をついて、自分の心を綺麗な色で塗り潰していた……だけ かつてないほどわたしが評価されて成功した撮影のお仕事が終わると そのままの姿で、周りの目も気にせずにわたしはお兄さんに告白した 『お兄さん、わたし桐乃よりも可愛くないですか? 桐乃よりもわたし魅力ないですか? わたしなんかじゃ桐乃よりも………すきになれないですか?』 『わたしはお兄さん………あなたが好きです』 あの時のお兄さんの顔を見ると、冗談抜きで今でも死にたくなってしまう。 事実、そう言って脅した―――もう願いの為には、どんな手段も選ばなかった。 引き返す事は出来なかったし、そんなつもりは微塵も無かった。 あの時、桐乃が言った様に今度は 『もう他には何も要らない。あなたが居ないと本当の自分じゃなくなる』 とわたし自身が知ってしまったから その後、色々な人を本当に傷つけた ―――お兄さんも傷つけたし、自分自身も傷ついた。 傷つけると分かってた癖に………傷つけた。 この前の桐乃の事だって…本当は嫉妬で怒っていたわけじゃない。 わたしがお兄さんや桐乃に嫉妬して怒る資格なんて最初から無いのだ。 あれはお兄さんを困らせて、嫌われて―――振られても良いと (絶対にイヤな事なのに、死ぬほどイヤなのに) 半ば自暴自棄で、気持ちが抑えられずにしてしまった ………わたし自身の欺瞞。 だから その後、わたしの我が侭に付き合ってくれて、家にまで来てくれた時 本当に―――本当に嬉しかった。 「京介さん…本当はわたし、 何されても怒らないから………何でもして良いから」 そのまま眠ってしまったお兄さんを抱きしめる。 ―――あなたが望むなら 喜んでくれるなら何でもする、何でもしたい、何でもさせてください。 「 今でも黒猫さんが好き………でも良いから 桐乃が好き………でも構わないから お姉さんが好き………でも許しるあげる だから別れたくない―――絶対に別れない 」 あなたにいつも抱きしめられないと不安が消えない ずっとずっと側に居て欲しい もう一瞬も離れたくない 会えないだけで気が変になりそうになる でも………… 『なんでこんなわたしと付き合ってくれたんですか?』 『黒猫さん……桐乃………お姉さん……………………ごめんなさい』 『お兄さん……ごめんなさい』 自問して 涙………… 眠っている彼の横顔を濡らしてしまった つづく
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http //pele.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1311182440/685-690 「黒猫さんと、こんな風に会うなんて初めてだねえ」 私の目の前に居るベルフェゴールが柔和な表情を浮かべながら私との会話を 試みている。現世では彼女と一対一で会うことなどあり得ないはずだった。 だが、あの女からのあの電話が、私とベルフェゴールの対峙を強制させたのだ。 『あのさ‥‥‥、アタシ、もうダメかもしんない』 あのスイーツ(笑)から電話がかかってくること自体は奇異な話ではない。 問題はあの女の様子だ。 現世ではあり得ないほどに狼狽した様子で電話をかけてきたのだから。 一体、何があの女の身に降りかかったというのか。 千葉の堕天聖を此程までに揺れ動かす、あの女の狼狽振りは一体何なのか。 大方、あの女が兄と呼んでいる破廉恥な雄との間での揉め事が原因だろう。 だから私に泣きついてきた、というのは容易に想像できる。 だが何だろう? この胸騒ぎは。際限なく湧き出る悪い予感が心から溢れ出る。 私の予感は悉く的中するのだ。 その的中能力を此程までに否定したくなる瞬間など嘗て無かった。 だが今は違う。切に希求している。予感が外れて欲しい、と。 「もしかして、桐乃ちゃんのことを相談したいのかなぁ?」 ベルフェゴールは、私を包んでいる妖気を容易く破って心の中を読み取った。 流石ね。私が一目置くだけのことはある。 フフッ。私の心を読み取った褒美に、私との精神の交流を認めてあげるわ。 「あ、あの‥‥‥あの女に一体何があったのかしら?」 「う~ん、心当たりはあるけどお、多分、きょうちゃんとのことじゃないかなあ」 やはり、あの雄が絡んでいるというのか。 この世で何年あの女と時を刻んでいたのか。 なぜ未だにあの女を御することができないのか。 全く、情けない雄だこと。 私の心は、あの雄に対する罵倒めいた疑問で埋め尽くされた。 「兄さん‥‥‥と何があったというのかしら?」 「う~ん、話してもいいけど‥‥‥黒猫さん、取り乱さないって約束できる?」 クッ! この女、私に悪魔との約束を要求するのか。許されなくてよ! だが、悪魔との約束など、私が現世における立ち振る舞いを定めた 私自身の縛りから逸脱するに過ぎない。 あの女が陥った苦しみが悠久の刻を越えぬようにしてやることが 現世での私の使命。それが私の結論なのだから。 「ええ。約束するわ」 「ほんと? 取り乱さないって約束してね!」 「覚悟は決めているわ。何せ悪魔と契約したのだから」 「あくまとけいやく?」 「いえ、何でもないわ。さあ、話して頂戴」 「じつはね‥‥‥」 ‥‥‥‥‥‥ 「オイ桐乃、オマエ、髪の色を戻す気ないか?」 「ハァ? 何、バカなこと言っちゃってんの?」 俺のベッドに寝そべってファッション誌を読んでいる図々しい様子の 我が妹・桐乃への頼み事はあっさりと否決された。 「いや、何か懐かしくなってな」 「うげえ~、シスコン、キモお~」 「オマエ、元々黒髪だろ。黒髪のオマエってどんな感じかと思ってな」 「黒髪じゃなくて、茶色がかってたでしょ! 覚えてないの!?」 ここの所、俺は桐乃に髪の色を変えてみないか? と言い続けている。 今でこそライトブラウンに染められたロングの髪が桐乃のトレードマークだが、 元々は茶色がかった黒髪で、俺はその頃の桐乃が無性に懐かしくなっていた。 勿論、桐乃には読モとしての仕事もあるわけで、そう簡単に髪の色を変えること なんて叶わないことは解っているつもりだ。 「訊きたいんだケド。なんでアンタ、アタシを黒髪にしたいワケ?」 「いや、だから懐かしさってのがあってだな‥‥‥」 「ウソつくな!」 「いきなりウソ吐き呼ばわりかよ。昔を懐かしむのがそんなにおかしいのか?」 「『昔を懐かしむ』ねえ‥‥‥んじゃ、コレはナニ?」 そう言うと、桐乃は俺のベッドの下から『男の宝物BOX』を引っ張り出す。 「お、オマエ! 何をすんだ!?」 「何なのよ、コレはッ!?」 桐乃がBOXの中から取り出した一冊の本。 俺が入手したばかりの黒髪特集本だ。言っておくが薄い本ではないからな! 一応、Amazφnでは18禁ではないカテゴリーだ! 「こーんな本に影響されちゃってさ。 『今こそ、黒髪!』『黒髪に興味がないなんて、人生を損している!』 『黒髪・眼鏡・妹は萌え三種の神器』って、ふ~ん。こんな趣味なんだ」 記事の煽り文句を読み上げる我が妹を前に、俺はあやせに会いたくなった。 正確には、死にたくなったわけで。 「わ、悪いかよ!? 別に俺がどんな趣味でもオマエには関係ないだろ!」 「関係あるっつーの! こんな趣味の兄貴がいるなんて最っ低!!」 「18禁じゃないし! オマエのエロゲー好きよりははるかに健全だろ!」 「なッ! うっさい! この変態!!」 桐乃は俺の部屋を飛び出し、自分の部屋に籠もってしまった。 クソッ! 実にくだらないことで妹とケンカをした俺は自己嫌悪に陥った。 自棄になりベッドに身を投げると、薄い壁の向こう側から話し声が聞こえる。 『あのさ‥‥‥、アタシ、もうダメかもしんない』 誰かと電話しているようだ。相手はあやせだろうか? もしそうだったら速攻で俺の電話に公園への呼び出しが来るはずだが、 それも無かったからきっと違うのだろう。 ああ、実にイラつく。多分桐乃も同じようにイラついているかもしれない。 こんなくだらないことでお互いにイラつくなんて損だ。 桐乃の誹りを受けたときにエロゲーの話を持ち出した俺も大人気なかった。 それに、俺は妹ともっと仲良くなりたいという重篤なシスコンだからな。 ここは‥‥‥俺から謝るとするか。 コンコンコン ガチャ 「桐乃。さっきは悪かっ‥‥‥」 返事を待たずに妹の部屋のドアなんて開けるもんじゃないよな。 「ぬあっ! 勝手にドア開けんな!! 変態!!」 「オ、オマエ、それ‥‥‥」 「うっさい! 見んな! バカッ!!」 桐乃は黒髪+眼鏡という出で立ちで俺にご褒美、もとい罵声を浴びせる。 「なんだよ、その格好!?」 「ア、アンタの趣味ってどんなもんか試しただけだっつーの!」 「ホントか?」 「嬉しそうな顔すんな! マジキモい!!」 いかん。感情が顔に出ていたらしい。 それにしてもその黒髪はどうしたんだ? まさか染め直したのか? 「ああいうのに興味あるみたいだから、黒いウイッグと眼鏡を用意しただけ!」 そういうことか。でも‥‥‥クソッ! そんなの反則だろうが! 黒髪+眼鏡の姿が反則ではなく、そういう用意をしてくれたことが 途轍もなく愛おしく感じられる。 さっきまでクソアマと思っていた妹が途端に可愛く見えるようになった。 「桐乃」 「ナニよ? 何か文句あるワケ?」 ぎゅっ 「ちょ、ナニすんのよ!? 放せっての!」 今この瞬間の感情を最大限に表現できる簡単な手法を採った俺に桐乃は抗った。 「悪かった」 「え?」 「オマエの考えを無視して髪の色を変えろなんて言って悪かった」 「‥‥‥」 「そんな用意をしてくれるだけでもう充分だ」 「ナニ言っちゃってんの? バッカみたい」 「ああ、バカだ。外見ばかり見て、オマエの内面を見なかった俺はバカだ」 「ばか‥‥‥」 「それに、エロゲーの話なんか持ち出して悪かった」 「アタシもアンタの‥‥‥アレを勝手に見たりしてゴメン」 『妹ともっと仲良くなりたい』という俺の想いは通じたようだ。 「あ、えっと‥‥‥?」 「何だ? どうした?」 「アタシ、何かしなきゃいけないことがある気がするんだけど、何だろ?」 「忘れるってことは、『しなきゃいけない』って程のことじゃないんだろ」 「そっか。そうだよね」 おかしなヤツだ。でもそんな桐乃も今は愛おしく見える。 フン。シスコンだと笑いたければ笑え。 「桐乃‥‥‥」 「京介‥‥‥」 ‥‥‥‥‥‥ 「‥‥‥というわけなの」 「‥‥‥‥‥‥」 「えーっと、黒猫さん?」 「さ、参考までに訊きたいのだけれど、その後、あの二人はどうしたのかしら?」 「わかんない。きょうちゃんから聞いたお話はそこでおしまいだから」 あのスイーツ(笑)からの思わせ振りな電話は何だったというの。 私の胸騒ぎはどうしてくれるの。 際限なく湧き出た悪い予感はどう始末してくれるの。 あの愚かしい兄妹が演じた矮小な争いに巻き込まれるとは、私もとんだ道化ね。 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥フッ、クククク」 「黒猫さん!? だいじょうぶ?」 「え、ええ。大丈夫よ。これしきのことで千葉の堕天聖の心は折れないわ」 「せんようのだてん‥‥‥?」 「いえ、気にしないで頂戴」 「黒猫さん、ひょっとして相談事ってかいけつしたの?」 「ええ、勿論よ。完璧に解決したわ」 「よかったあ。うふふふ」 ベルフェゴールからは何らの邪気も感じられない。 此が“天然”の成せる技なのだろうか。 それに対して今の私は‥‥‥フッ、クククク。 ああ呪わしい。この怨念を一体何処に葬り去れと言うの。 リア充兄妹は死ね! 『兄妹ゲンカ』 【了】
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第二章 そうこうするうちに、俺達は飲食店の並ぶ大通りに出た。 「で、何食べるよ?」 桐乃にそう水を向けると、 「一応、行きたいところはあるんだけど……」 と、桐乃らしくない控えめな主張。 「じゃあ、そこにしようぜ。俺はどこでもいいし」 「ふうん。ま、あんたがそう言うなら、いいケド」 ってことでやってきたのは最近できた感じのまだ真新しい建物のカフェ。 「……ここで夕飯にするのか?」 なんか、ケーキとかパフェとかばっかりなんだけど…… 「何よ。あんたがいいって言ったんじゃん。今さら文句言うワケ?」 「い、いや、言わねえよ」 仕方ねえ。ま、一応、スパゲティとかピラフとかくらい置いてあるだろう。 そうして店内に入ってみると、いかにも女子中高生が好きそうな内装。 メニューを開いても、やたらきらびやかな写真が並んでいる。 中でもひときわ目立ったのがでっかいパフェ。4~5人サイズくらいのでっかい奴が 何種類も並んでる。 「それ、ここの名物なの。ビッグパフェ。学校でも人気あるよ」 「……おまえ、まさかこれ頼んだりしないよな?」 そう言うと、桐乃から呆れたような返事が返る。 「ばかじゃん。そんなの二人で食べられるわけないっしょ」 まあ、確かに。 「注文するのはこっち」 そう言って桐乃が指差したのは、先ほどのパフェよりは一回り小さいが、 それでも下の方に載っている普通サイズの2、3倍はあろうかというパフェ。 色は少し渋めの、濃厚そうなチョコレートパフェだった。 「なんだ、これ……カップル限定パフェ?」 「そ。カップルじゃないと頼めないの」 なるほど、俺を連れてここに来た理由がわかったぜ。 桐乃の奴、これが食いたかったってわけね…… そうこうしてるうちに注文を聞きに来たウエイトレスに桐乃が注文をすませる。 「じゃあ、俺はこのカレーピラフを……」 と、俺が自分の分を注文しようとすると、 「あんた、そんなにたくさん食べれるの? ここのパフェって結構ボリュームあるよ?」 「へ? そのパフェ俺も食べんの?」 そういや、さっき、二人で食べられるわけないだろって言われたような…… 「あったりまえじゃん。あ、ピラフはいいですから。あと、ドリンクバー二つ」 と、勝手に俺の注文をキャンセルする桐乃。 「お、おい、勝手な事すんなよ」 「パフェの後で余力があったら追加注文して食べていいから」 だとよ。まったく、ありがたいこった。 早速ドリンクバーにコーヒーを取りに行き、それをちょびちょび飲みつつ、 携帯をいじくる桐乃の様子をなんとはなしに見ている。 いったい、何を一生懸命やってるんやら。そう思っていると妹の方から説明してくれた。 「へへ。限定パフェ、これから食べるぞって自慢した。みんなまだ食べてないはずだから」 「……ふーん」 「あ、早速返信来た!」 正直、こんな事になるならやっぱ煮っ転がし食べたかったなあと思ってた俺だったが、 なんか、楽しそうな妹を見てると、ま、いっかって気になってきていた。 しかし、そんな時、俺の携帯が振動した。 「ゲ……!」 携帯をチェックするとあやせからメールが届いていた。 おそるおそる確認してみると…… 『命知らずのお兄さんへ── どういうことですか! カップル限定パフェ食べたいとかって桐乃をムリやり付き合わせるとか!? そんなにパフェが食べたければ、いつも一緒のお姉さんと一緒に行けばいいんじゃないですか? 以前の警告を忘れたわけじゃありませんよね? お兄さんがそんなに命知らずだったとは思いませんでした』 「ひええ……」 相変わらず怖い奴。 ……ん? 俺が桐乃をムリやり……だと? 「あ、どんどん返信返ってくる。ふふ、みんなうらやましがってる~」 はしゃぐ妹に向かってちょっと訪ねてみる。 「なあ、それって、あやせにもメールしたのか?」 「へ? あったりまえじゃん。一番の親友だかんね」 その言葉は二人の関係の修復に関与した者としての誇らしさを俺に感じさせるものではあったが、 今はそれどころではない。 「ふーん。で、なんてメールしたわけ? まさか、バカ正直に兄貴と一緒にカップル限定パフェ食べに来たって書いたとか?」 「……書いたケド?」 忌々しい事に、俺の中で妹の可愛い表情BEST3に入る、きょとんとした顔で答える。 「おいおい、それって恥さらすようなもんじゃないのか? 彼氏がいないから兄貴を連れ出して……とか」 だって、たとえば、彼女同伴のクリスマスパーティに、彼女と偽って妹連れていくみたいなもんだろ? もしそんなことしてそれがバレた日にゃ、恥ずかしくって学校行けなくなると思うんだがなあ。 ま、俺の知り合いにゃそんなシャレたパーティ企画できるような奴はいないけどな! 「あ、そこらへんなら大丈夫。甘党のあんたが、どうしてもこの店のパフェが食べたいけど、 一人じゃ入れないから一緒に行ってくれって私に泣いて頼み込んだって事にしてあるから」 「あ、なるほどね。……って、ちょっと待て! オイ、コラ!」 思わずノリツッコミをしてしまう。 「あ、万一、あやせとかと偶然会う機会があったら、ちゃんと話を合わせてよね」 いけしゃあしゃあとそんな事をのたまう桐乃。 「おまえ、それじゃ俺の立場はどーなんだよ!」 「いいじゃん。あたしの友達の間で、あんたがどう思われようと関係ないでしょ?」 「あるよ! 顔見知りもいるじゃねーか!」 「あんたって、結構見栄っ張りよね」 「おまえが言うんじゃねえっ!」 まったく、こいつは…… 「と、とりあえず、あやせにだけでもちゃんと話しておいてくれよ」 「なーに? ……あんた、まさかあやせに気があるとか言うんじゃないでしょうね?」 鋭い眼光で睨みつけられる。こいつら、さすが親友同士、変なとこで似てやがんなあ。 「ちげーよ! あいつ、俺らの事、誤解してんだろ? ほ……ほら、近親……相姦がどうとか……さ」 思わず言いよどむ俺。そっか、俺がこいつをオカズにするって、近親相姦の一歩手前なんだよな…… 「そんなの、あんたが自分で蒔いた種じゃん。でも、安心しなよ。ちゃんと説明して誤解は解いておいたから」 感謝してよね、と桐乃は締めくくる。 って、おまえのために蒔いてやった種だろ! おまえこそ感謝しやがれ! あと、その誤解、全然解けてないから! そんなツッコミを心の中でしただけで、俺の気力は萎える。 いつもの事だし、まあ、いいかってちょっと考えてる自分が嫌だ。 そんなこんなしてるうちに、桐乃お待ちかねのカップル限定パフェが到着した。 すると、パフェを持ってきたウエイトレスがポケットから大きめのカメラを取り出して俺たちに向ける。 「はい、笑って下さい~」 「へ?」 俺が面食らっていると、桐乃が俺の胸倉を掴んで自分の方に寄せる。 パシャッ! フラッシュがたかれたかと思うと、あっという間に店員は去って行った。 あまりに一瞬の事で、何がなんだかわからない俺に桐乃が言う。 「さ、食べるよ」 俺は気を取り直してパフェに視線を移す。 強めのチョコの香りが漂う、濃厚なチョコレートパフェ。異様に長いスプーンが二つ添えられている。 「パフェのスプーンって長えなあ……使いにくそ」 パフェなんて自分じゃもちろん頼んだ事ないし、麻奈美も頼まねえからほとんど初めて見るんだよな。 「……そりゃ、カップル専用パフェなんだから当然でしょ?」 と、桐乃。 「カップル専用だと、なんで長いんだよ?」 すると、眉間にシワを寄せた呆れ顔で、無知な兄貴を恥じ入るように顔を赤らめつつ桐乃が言う。 「も、もう、相変わらず勘が鈍いなあ。じゃあ、実際に使ってあげるから……見てなよね?」 すると桐乃はスプーンを手にとり、器用にパフェのアイスやクリーム、チョコレートソースなどをからめて スプーンの上に、一口サイズのパフェを完成させる。 「い、いい? これは、こういう風に使うの……」 そう言って、対面に座る俺の方に向かってスプーンを突き出してくる。 「な、なんだよ?」 急な攻撃に身を引く俺。 「ほ、ほら! 早く、口を開けなさいよ!」 「な……!」 ま、まさかこれは……空気を読めないバカップルのみに許される、あの、ハイ、アーンって奴なのか? 「きょ、兄妹でこんな恥ずかしい事、出来るか!」 いや、兄妹でなくても、こんなことムリだ! 「バ、バカ! 兄妹とか大きい声で言うな! カップル専用パフェを、別個に黙々食べてる方がよほど恥ずかしいでしょ!」 そ、そうか? そういうものなのか? 「はやく……ンもう! 周りから見られてるじゃん……!」 桐乃が顔を真っ赤にしてそう訴える。きっと俺の顔も、同じように赤くなってるに違いない。 「わ、わかったよ……」 郷に入っては郷に従え。旅の恥は掻き捨て。 そんな言葉を頭の中で走らせながら、俺は桐乃の差し出したスプーンにかぶりつく。 「ど、どう? 美味しい?」 「あ、ああ……」 味なんてわからねえよ! 「ほんと? じゃ、じゃあ、あたしも食べてみよっかなあっ」 微妙に不自然な棒読みっぽい台詞を吐きながら、桐乃が再びスプーンでパフェをすくう。 そして、先ほど、俺の口の中に突っ込んだスプーンを、自分の口元へと持っていく。 (お、おい……!) 声にならない声を挙げつつ、スプーンが桐乃の口の中に飲み込まれていく様を見守る。 俺は、スプーンが加えられた桐乃の唇から目が離せなくなっていた。 「ほ、ほんとだ。美味しい……」 桐乃の口から出てきたスプーンには、桐乃の唾液とクリームが混じった後が残っている。 そして桐乃はそのスプーンの先と俺を交互に見つめながら…… 「あんたも、もう一口……どう?」 その桐乃の言葉に、思わずのどを鳴らして唾を飲み込む俺。 「あ、ああ」 そう同意の言葉を述べると、再び、桐乃の口の中に入ったばかりのスプーンが、俺の口の中に運ばれる。 俺は、妹の唾液の味を感じ取ろうとスプーンを強くなめてみた。もちろん、良くは分からなかったが…… 「ふう……」 俺は、一発抜いたような倦怠感と疲労感に襲われていた。 しかし、パフェはまだ、二人で三口食べただけ。ほとんど全くと言っていいほど減っていなかった。 「つ、次はそっちの番……」 脱力している間もなく、桐乃が突然そんな事を言ってくる。 一瞬、俺はその言葉の意味がわからなかったが、桐乃の視線がパフェに添えられた、 もう一本のスプーンに注がれているのを見て、ようやく理解した。 ま、まさか。俺にも今のと同じ事をやれと……? いいだろう。ここまで来たら、もう後には引けない。 (なぜ後に引けないと思ったのかを冷静になってから思い出すと、また例の悪い癖が出ていたようだ) 俺はスプーンを不器用に操りながら、桐乃がやったのと同じようにスプーンの上に小ぶりなパフェを完成させる。 「ほ、ほら……」 おそるおそる、桐乃の口元めがけてスプーンを運ぶ。しかし口元までスプーンを寄せてみると、 どうもスプーンの上にパフェを乗っけすぎたらしく、桐乃の小さな口には収まりきらない感じだった。 「わ、悪い。すくい直す」 そう俺が言うと、桐乃は、 「い、いいよ。大丈夫」 と、答えて、口を精一杯大きく開いて俺のスプーンを咥え込もうとする。 しかし、やはり多すぎたのかちょっと苦しそうだ。 「あん……」 「だ、大丈夫か?」 「うん……」 桐乃はなんとかパフェを口の中に収め、口内でクチュクチュとさせながら、ようやくパフェをコクコクとのどを鳴らしながら飲み込んだ。 唇の端からトッピングのミルクソフトクリームが垂れている。こ、これはなんというか…… 「も、もう一口いくか?」 思わず俺はそんな言葉を発していた。 そんなこんなで、パフェの4分の1くらいを食べさせっこした後、やはりこれでは埒があかないと、 結局、個別に黙々食べる事になってしまった。 味は確かに悪くなかったが、いかんせん量が多い。俺はピラフを追加することをやめた。 なんとか完食した後、口なおしの紅茶をドリンクバーで二人分いれてテーブルに戻ってくると、 桐乃がポラロイド写真らしき物に蛍光ペンで何やら書いていた。 「なんだ、それ?」 写真を除きこむと、それは先ほど撮られたらしい、俺と桐乃の写真だった。パフェを中心に、わたわたした俺の顔と、 小さくピースして可愛く笑う妹の顔が写っていた。コイツ、さすがに写りなれてやがるなあ。 俺がピースサインなんてしたら、きっと小学生のガキみたいな感じになっちまうに違いない…… 写真の余白部分には、「美味しかった」とか「また来ます」とか、星だのなんだの、ゴテゴテ装飾付で書かれている。 「それ、どうすんの?」 「お店に飾ってもらうの。ほら」 そう言って桐乃が指し示した壁には、一枚の大きめのコルクボード。 そこには、「来店くださったらぶらぶ☆かっぷるの皆さん」と言う見出しの元、 先ほどのパフェを囲んで笑顔のカップルたちの写真が何枚も貼られていた。 「お、おい、それはマズくないか?」 俺は慌てて桐乃に問う。 「なんで?」 と、真顔で聞き返す桐乃。 「だ、だって。おまえ、学校の友達とかに誤解されたら困るんじゃないのか?」 「困んないって。仲のいい友達はみんなあんたの事、知ってるし」 ああ、こないだ家に来てた連中か……でも考えたら階段下でもつれあったとこ見られたりしてる分、余計、やばくね? 「いや、俺が言ってるのはだな……たとえば、おまえの事を、その……好きな男子とかがだな、 お前に、その、か……彼氏がいるって勘違いしたりしたら……その……まずくないか?」 俺はしどろもどろになりながら、桐乃に懸念を伝えた。 すると桐乃は、「別にィ」と一笑に付す。 「誤解されたらむしろ好都合。手紙もらったりコクられたりしょっちゅうだけど、正直、ウザくて困ってるし」 相変わらずの尊大な物言い。が、なぜかある意味、ほっとする。 「で、でも、中にはおまえが気に入る奴がいるかもしれないだろ?」 すると桐乃はケラケラと笑った。 「まさか! 同じ学校の男子なんてみんなガキっぽいし、興味ないって」 だとさ。まあ、確かに、中高生って女子の方が男子に比べると色々、大人びちゃいるが…… 「私の友達、みんなそう言ってるよ。私とかも、恋愛対象になるのは……」 そこまで言って、桐乃は恥ずかしそうに目を伏せる。そして、上目遣いでチラチラとこちらを見ながらようやく言った。 「せいぜい、あ、あんたくらいの年から……カモ」 「そ、そっか」 な、なんだよ。その意味深っぽい言い方……またからかおうとしてんだな? そうだな? 俺は、それ以上、この件に触れるのをやめた。 それにしても、明日あたりにはあのコルクボードに、俺と桐乃の写真がカップルと称されて 貼り付けられているのだろうと想像すると、色々とむずがゆい気分になるのだった。 (第二章 終)
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http //pele.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1301391825/19-26 ある日の夜、わたしはとある対戦ゲーム――『真妹大殲シスカリプス』のネット対戦のためにパソコンの前に鎮座していた。 わたしはRAPを巧みに操作しながら対戦相手の一瞬の隙を掻い潜り、超必殺技の2回転投げを叩き込んだ。決める難度は高いが一撃必殺の破壊力を誇るそれは相手の体力をみるみる奪う。 そして示された”YOU WIN!”の文字。 「ふふ、これで拙者の勝ち越しでござるな京介氏」 パソコンに表示される金髪ロールに渦巻きメガネのアバターが先程の対戦相手――京介さんへとコメントを表示する。 今のわたしは対外的には『沙織・バジーナ』であるから。 『くそー、さすが沙織は上手いな。黒猫ほどじゃないにしてもダイヤ有利なはずなのに負け越すとは』 京介さんのアバターは桐乃さんのメルルである。基本的に1つのゲームには1つのアカウントしか取れないため、自分のアカウントは作れないのだろう。 「相手が勝ち誇ったときそいつは既に敗北しているのでおじゃるよ。京介氏は有利に立ったときの立ち回りがおろそかに感じまする」 『うーむ、確かに言われてみればそうかもしれないな。もっと練習しなきゃな』 「精進めされよ、でござる」 まだ会話が終了してはいないけれども、わたしはキーボードに伸ばしていた手をだらりと下に降ろし、背もたれに体を預けて伸びをした。 格闘ゲームは他のゲームよりも一戦ごとの集中力が多くかかるので疲れやすい。 それにしても。 (相変わらず、なんて妹思いの方なんでしょう……京介さんは) 忌憚なく彼女は心の中で思った。 文字通り妹キャラしか登場しない『シスカリプス』をプレーするのは京介さんにとって本来気分のいいことではないはずだ。 それでも桐乃さんの対戦相手として力になってあげるために彼はこのゲームをやりこんでいるのだろう。あるいは。 (瑠璃さんや、わたしのためでもあるのかもしれない――いや、わたしのためであってほしい? わ、わたしは何を……) 頭の中に漠然と生まれた妄想を真っ赤になって打ち消していると、京介さんから返信が返って来ていた。 『そういえばさ、沙織』 「なんでござるか?@ω@」 画面を介した通信だったことが幸いして平静を装うことは用意だった。 『明日の休み、暇だったらちょっと付き合ってくれないか?』 (――――ッッ!?!?) そんな装った平静を吹き飛ばすようなナパーム弾が投下されてきた。 「ど、ど、どういうことですかっ!?」 『いや、ちょっと買い物にだがな……ってそんなに驚かんでも^^;』 ああ、買い物に……と少し落ち着いたものの、いまだ動揺は隠せていない。とりあえずは情報を集めなくては。 「どこへ何をしにでござるか?」 『いやな、最近勉強やらゲームのやりすぎか視力に若干不安が出てきてな。眼鏡でも買おうかと思ったんだけど一人じゃと思ってさ。場所は決めてないけど眼鏡なら大体どこでも一緒だろ?』 「きりりん氏や黒猫氏も?」 『いや、桐乃はモデル業で少し遠出するらしくて、帰りは夕暮れぐらいになるらしい。黒猫は妹が風邪を引いてしまった(黒猫曰く”下界の瘴気にあてられた”らしいが)らしくてダメだってさ。 麻奈実でもいいんだが、あいつはそういうファッション系に疎いからな……沙織がいてくれれば俺としては自信がもてるんだけどな……ダメか?』 「拙者でよければ、もちろん付き合わせていただきますが」 そんなことを言われて断れるわたしではなかったし元より予定はなかったのだが、京介さんと2人っきりという状況が否応なく自分の鼓動と罪悪感を高めていく。 『そうか、そりゃよかった!場所はどうしよっかな……やっぱ俺が横浜まで行ったほうがいいかな?』 「いえ、お気遣いなくでござる。せっかくだから拙者が千葉まで伺いまするよ」 『沙織がそう言うのならありがたく承るけど。じゃあ後で何かおごるよ』 「ふふっ、楽しみにしてるでござる」 『わかった。それじゃあな ノシ』 「しからば ノシ」 京介さんのオフラインを確認してからわたしはひときわ大きな深呼吸をした。 「京介さんと……デート……」 高坂京介。わたしの最も信頼する男の人。 容姿は決して良いとは言えない。けど、身近な人――特に桐乃さん――に対する献身や努力、奔走をわたしはずっと見届けてきた。 わたしを心配するあまりに桐乃さんや瑠璃さんと一緒にこの家に駆けつけてくれたこともあった。……でも。 「京介さんを信頼しているのはわたしだけじゃない……」 それがとりわけ大きなふたりの友人に、まだ話したこともないあのひとの幼馴染の方。 後者はともかく、前者の京介さんへの感情が単なる信頼だけじゃないのは傍から見ていてもすぐに分かる。それを考えるだけでわたしの胸はちくりと痛んだ。 「わたしは……どうすればいいのかしら」 答えの出ない問いを宙に紡いだまま、わたしはゆるやかにベッドへと潜り込んだ。 朝早くに目が覚める、というか覚めてしまい、わたしはシャワーを浴びるとおもむろに着替えを始めた。 服装はいつものオタクルックに渦巻き眼鏡。結局のところ人見知りの激しいわたしはこの格好でいた方が余計な干渉がかからず楽なのだ。わかってくれる人だけわかってくれればそれでいい。 はやる気持ちを抑えつつ予定の時刻に余裕を持たせて千葉駅の待ち合わせ場所に着くと、すでに京介さんはやってきていた。 「待ちました?京介殿」 「いや、そんなことはないぞ。俺が誘った上に俺のほうが近いんだから早めにいなきゃおかしいだろ」 「それもそうでござるな」 「即答かよ!まあいいや、何か食べるか?昼前だけど」 「それじゃあ再開を祝してマックでも。当然京介殿のおごりでね」 「最初からそう言ってたけどな。まだ月は見えないから沙織のターンだな」 「お、拾ってくださるとはさすが京介殿」 「ははっ」 マックのセットを京介殿におごってもらったあと、一息ついてから本命の眼鏡ストアに向かった。 「着いたぞ。ここだ」 「ほうほう。さすが千葉の駅前、なかなかの品揃えでござるね」 「さて、沙織の出番だ。思う存分探してくれ。もちろん俺も自分で探すには探すけどな……」 あまり自分で探すのに気が乗らなそうな京介さん。以前のコスプレが酷評されたのがよほどトラウマになっているらしい。 「了解でござる。うーむ……京介殿の嗜好とかはありまする?それも判断材料に加えたいと思いまするが」 「そうだな……フレームがあった方がいいかな。眼鏡があるならあるなりのファッションてものを求めたほうがいいかと思うんでな」 「ふむぅ、京介殿もメガネフェチ故のこだわりが自分にもフィードバックされておるのですな」 「メガネフェチ言うな!そりゃ否定はしないけどよ!」 「はははは。では、こんなのはいかがです?」 そう言ってわたしは京介さんに陳列されていたもののひとつを渡した。 「これは……よくあるフレームだけど、赤か。ちょっと派手じゃないか?」 「顔が肌色だから案外目立たないものでござるよ。意外と悪くないと思いますが」 「そういうもんかねえ?まあいいや、かけてみるよ……これでどうだ?」 京介さんが赤い眼鏡をかけて私を見据えてくる。その表情の真剣さに不覚にもドキッとしてしまった。 「おお……思った以上に良いでござるな……」 「へぇ?」 京介は存外な評価に感心して店に備え付けの鏡を見た。 「なるほど、悪くないな。さすが沙織だとほめてやりたいところだ」 「ありがたき幸せ。でもまだ最初のですからもっといいものがあるかもしれませぬ。只今一生懸命行方を調査しておりますのでもうしばらくお時間を」 「わかった。それじゃあしばらくは分かれて探そう」 そうしてわたしと京介さんは別々に散策を始めた。 京介さんの眼鏡をわたしだけが選べる、すなわち私色に染め上げられると思うと妙にときめくものを感じながらわたしは丹念に眼鏡を探していき、ある程度いくつかよさげな物を見繕ったあと京介さんと合流した。 後にして思うと、ここが運命の分岐点だったのかもしれない。 「だいたいこんなものでどうかと思いますが」 「なるほど。じゃあ俺が探したのと合わせて一つずつ試してみるか」 そうして京介さんの擬似ファッションショーが始まった。 ノンフレームのもの、ハーフフレームのものを加えて様々なデザイン、色を組み合わせて、まるで着せ替え人形のようだ、と少しおかしく思った。 「うーん……10個以上試したけど、やっぱり最初の赤のフレームが一番かな。これにしようか」 「そうでござるね。拙者も色々見繕いましたがそれが一番しっくりくる気がするでござる」 「じゃあこれで俺のは決まったな。……それじゃ、せっかくだから沙織のも新しく買ってみないか?」 「え?」 わたしはきょとんとして間の抜けた返事をしてしまった。少し期待していたとはいえ、京介さんがそんな大胆な提案をしてくるとは思っていなかったからだ。 「そうだな……じゃあ、まず試しに俺のと一緒のこれをかけてみるか?」 「は、はい……」 京介さんがかけていた買う予定の赤眼鏡を受け取ると、わたしは自分の渦巻き眼鏡を外しておずおずとかけてみた。 「ど、どうですか……?」 「おお、よく似合うじゃないか。さすが元が極上だから何でも似合うのかな。じゃあおそろいで買うか」 「あ、ありがとうございます……」 そう言うと京介さんはニッと笑いかけて、一緒にレジへと向かった。 そして清算を二人で済ませ、あらかじめ眼科の処方箋を受けていた京介さん用にレンズを調整してもらって製品を受け取り(わたしは伊達だったのでそのまま)、揃いの眼鏡をかけたまま店を出た。 と、その時。 「………?」 体が、熱い。 京介さんを見ているだけで動悸が激しくなるのが自分でも分かった。頭も良く回らないのを実感する。 京介さんとおそろいの眼鏡をかけている、その事実もまたわたしの興奮を助長するファクターになっていた。 「今日は付き合ってくれてありがとうな沙織――ってあれ?どうした沙織?」 「えっと、あの……なんでもありません……」 「なんでもないことないだろ、明らかに顔が赤いぞ。もしかして調子悪かったのか?」 こういう時ばかり鋭いのがこの人のずるい所だ。つい甘えたくなってしまうではないか。 「ええ……先程から、少し、気分が……」 「やっぱりそうなのか。じゃあ近いから俺の家に向かおう。多分桐乃のベッドが空いてるはずだからさ」 「え!?は、はい……」 もはやあまり考える余裕もないまま頷いてしまった。気こそ失わないものの、本当に熱でもあるかのような体の熱さだ。軽く体がふらつく。 「おい沙織!?……くっ……!」 京介さんは周りに人がいないのを確認してから軽く逡巡し、意を決したようにわたしをおぶって小走りに動き出した。 「きょ、京介さん!?」 「思ったより容態が悪いみたいだから四の五の言ってる場合じゃなさそうだ!もう1kmないからこのままおぶって行く!」 「で、でも拙者は重いんじゃ……」 「なせばなる!高坂京介は男の子ぉ!」 京介さんも恥ずかしいだろうにわたしの身の方を天秤にかけて決断してくれた。その思いに涙が出そうになった。が。 (……京介さんの臭いが……!) 走っているからであろう男くさい汗の臭い、それも京介さんのものであるということがわたしの思考を更に鈍らせた。なおかつおぶさっている関係上当然小刻みに体が揺れる。 そのことがわたしに起こっている変調をなんとなく理解させ始めていたが、そのままわたしは気を失った。 気がついたらわたしはどこかのベッドに寝かされていた。と思えば、このベッドにはどこか見覚えがあった。それもそのはず。周囲はいつも見慣れた風景が広がっていた。 「京介さんのベッド……!?」 その事実に直ちに思い当たると、起きる前までの衝動が直ちに沸き上がってきた。 京介さんの判断か買った眼鏡は外されて傍に置いてあったものの、疑惑を解消するためにわたしは再びその眼鏡をかけた。かけてしまった。 「……ぁっ!!や、やっぱり……!」 そう。この眼鏡はわたしの内なる感情――性的欲求を噴出させるためのパーツらしかった。 京介さんとおそろいの眼鏡。京介さんにおぶさってもらったこと。京介さんのベッドで寝ていること。 それら全ての要素が今まで溜め込んできた欲求不満を爆発させるように体に浸透してきていた。 思わず自分の胸、そして秘所へと手を差し伸ばしてしまう。 「んっ……!あ、はぁっ…・・・!」 ダメだ、こんなことをしていては、と頭は考えるも、体の、指の動きが止まってくれない。 もっともっとと性欲を掻き立てるように無意識のうちにわたしは服のボタン、ズボンのベルト、そしてブラジャーをも取り去ってしまった。 外気に晒された豊かな自身の胸とショーツの中を自分の意思など及ばないかのように指がまさぐる。 「んぁっ……京介さんに……さわられてる……ひぁっ!!」 もう沙織の乳首はピンと立ち上がり、秘部はグショグショに濡れていた。 「どうして、こんなに……あっ、ああっ!」 沙織は趣味の関係上18禁の同人誌などは数多く見ていたが、自分のを自分で触る、すなわち自慰は考えたこともなかった。それゆえに今の自分の淫乱な状態に同様を隠せなかった。 そして自らの指が乳首と剥かれた陰核をぎゅっとつまむと、増幅された性感はあっけなく絶頂をもたらした。 「ふぁっ、京介さ、んっ、あ、ああああああっ!!」 わたしの体は弓なりに仰け反り、ひときわ大きく痙攣した後にシーツをぐっしょりと濡らし、力なくへたり込んだ。 (こんなところ……京介さんに、見られたら……) 最悪の可能性を考えた瞬間、それは現実となった。 「どうした、沙織!……っ!?!?」 「ぁ……」 京介さんがお盆の上に雑炊とスポーツドリンクを乗せてドアを開け、そのままの状態で硬直した。 「そ、その……」 「い……いやああああっ!!」 羞恥が極限に達したわたしは、即座に胸を隠してベッドに潜り込んだ。
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887 :◆Neko./AmS6 [sage saga]:2011/05/03(火) 20 30 00.56 ID fK0gY2ago こんな筈じゃなかった。俺なりに頑張ってきたつもりだった。 夫として、家族の一員として精一杯尽くしてきたというのに……。 俺はテーブルに置かれた用紙を見つめながら、緊張と屈辱感に震えていた。 用紙には、はっきりと離婚届と印刷されている。 ご丁寧なことに必要事項は既に記入済みだし、妻の欄には捺印までしてある。 あとは俺が夫の欄に自分の名前と住所を記入し、最後に判を押すだけだ。 只それだけで、こんな紙切れ一枚で、俺とあいつの結婚生活に終止符が打たれる。 「……お義母さん……どうしても、別れなきゃいけないんでしょうか?」 「京介さん、私も主人も、よくよく考えてのことなの…… あなたと娘には、このさい別れて、人生をやり直す方が一番良いと思うのよ。 あなたたちはまだ若いのだし、幸いなことに子供もいないのだから……そうではなくて?」 あいつの実家から呼び出された時点で、話というのが何なのか大方の予想はついていた。 しかし、予想していたとはいえ、こうして目の前に離婚届を突き付けられると……。 俺に甲斐性がないことは、俺自身が一番分かっていた。 それでもあいつは俺の愛を受け入れ、俺と結婚してくれた筈なのに。 すべてはお義母さんの差し金で、あいつだって離婚までは考えてなかったんじゃ…… 「京介さんが納得できないというのは、私もそれなりに分かってはいるつもりよ。 でもね、今回のことは……離婚の件は、娘のあやせから言い出したことなの。 夫婦の間のことだから、他人がとやかく言うことではないけれど…… 娘が不幸になると分かっているのに、親としてそれを見過ごすわけにはいかないわ。 それにあなたにも、あやせの夫としての責任があったのではないかしら?」 俺はあやせの両親に対して、まったく頭が上がらなかった。 今から三年前のこと、俺は大学の卒業をまじかに控えても就職先が決まらず、 当時あやせと交際していた俺を気遣って、彼女の親父さんが世話を焼いてくれたんだ。 あやせの親父さんは地元の議員で顔も広く、各方面にもそれなりのツテがあった。 俺は、大学を卒業すると同時にあやせと結婚した。 あやせにとっては学生結婚になっちまったが、彼女がそれを強く希望したんだ。 頑張ろうと思った。あやせのためにも、そして、俺なんかのために骨を折ってくれた 親父さんのためにも。……しかし、現実はそう甘いもんじゃなかったよ。 あやせの親父さんが東奔西走して、やっとのことで紹介状を書いてくれたその会社は、 某一流企業の関連会社の下請けと取引のある、社長を含めて社員三人の小さな会社だった。 その会社にとって、俺は数年ぶりの新入社員だということで大歓迎された。 社長さんは奥さんの尻に敷かれ、いつも怯えているような人だったけど、 俺を家族の一員のようにして温かく迎え入れてくれた。 たしかに、社長以外は専務の奥さんと経理部長の娘さんだけなんだから、 俺以外は家族ってわけなんだよな。 会社勤めを始めて一ヶ月なんてもんは、瞬く間に過ぎちまう。 初めての給料日、俺はあやせに何か買ってやろうと思い、朝から落ち着かなかった。 あやせもご馳走を作って待っていると言って、俺を笑顔で送り出してくれた。 片道一時間の自転車通勤、その日の朝は、ペダルを踏む俺の足も軽かった。 いつものように朝礼を終えて書類を確認すると、俺は取引先へと向かった。 俺はこの会社で初めての総合職として、毎日靴の底をすり減らして営業に駆けずり回った。 「ご契約の条件と内容は、これでよろしいでしょうか。 ……それでは、今後とも当社をどうぞよろしくお願いいたします」 この会社に入社して、初めて契約が取れた瞬間だった。 すぐにでもあやせに電話してこの喜びを伝えたかったが、俺はぐっと我慢をした。 こんなことくらいで有頂天になってちゃいけねえ。 この先も一件でも多く契約を取って、あいつを幸せにしてやらなくちゃ。 俺は胸ポケットに入れた携帯をスーツの上からギュッと押さえ、次の取引先へと急いだ。 その日はひと通りの取引先に顔を出した後、夕刻になって帰社すると、 社長の奥さんから給与明細の入った茶封筒を手渡された。 俺は経理部長の娘さんと軽く冗談を交わしながらさり気なく席を離れ、 薄暗い雑居ビルの廊下を突っ切ってトイレに入ると、封筒から給与明細を取り出した。 「……学生んときの、バイト代の方が多いんじゃねえのか?」 俺はタイムカードを押すと、重い足取りで帰路についた。 家で待っているあやせに、駅前の花屋でバラの花を一輪だけ買ってはみたものの…… 自転車のペダルが朝と比べるとどうしようもなく重かった。 帰宅してから俺は、給与明細の入った封筒とバラの花をあやせに差し出した。 あやせは封筒の方は受け取らず、バラの花だけを受け取った。 「お兄さんが汗水垂らして働いて得たものなんですから、 それは、お兄さんが全部使ってください。 わたしはお兄さんが買ってくれた、このバラの花だけで十分です」 あやせと結婚して本当に良かった。 何度も死ぬんじゃねえかと思うほど酷い目に遇わされようが、 コツコツとあやせイベントをクリアしてきた努力が報われた心地だった。 俺は妹の親友のあやせに初めて出会ったとき、一瞬のうちに恋に落ちた。 いわゆる一目惚れってヤツさ。 あやせの言うことなら、俺は何でも聞いてやった。 どんなに困難なことでも、あやせの笑顔が見られるならと一生懸命に頑張ったんだ。 しかし、どうしても思うようにいかなかったことが二つだけあった。 ひとつ目は就職、そして二つ目が…… 「お義母さん、京介です。……只今帰りました」 そうだよ、新婚だってのに、あやせとの新居が用意できなかったんだ。 俺の実家で、俺の両親と一緒に暮らすという選択肢は初めからなかった。 何しろ実家には、妹の桐乃がふてぶてしく居座っているんだからな。 もしも、俺の実家であやせとの新婚生活を始めようと思えば、 当然のこと、今までの俺の部屋が俺たち夫婦の部屋となるわけだ。 考えてもみろよ、隣の部屋には桐乃がいるんだぜ。 あやせとも話し合って、しばらくは彼女の家に厄介になることとなった。 一人娘のあやせを両親も、特にお袋さんの方は手元に置きたかったようだしな。 つまり俺は、サザエさんのマスオさん状態なわけさ。 執務室の重い扉を押し開けると、あやせのお袋さん、じゃなくてお義母さんは、 机の上の書類から眼を離し、無言で応接セットのソファーを指し示した。 口元に上品な笑みを浮かべてはいるものの、目が笑ってねえ。 俺は軽く会釈をしてから、ソファーに浅く腰を掛けた。 「京介さん、毎日お仕事ご苦労様です」 「い、いいえ……ぼ、僕なんか新人ですから、まだ右も左も分からなくて……」 「まあ会社勤めというものは、そういうものよ。そのうちに慣れるわ。 ……ところで、たしか今日は、京介さんの初めてのお給料日だったわね」 「は、はい、給与明細はこちらに――」 「いいえ、別に私に見せる必要なんてないのよ。 京介さんの通帳は、娘のあやせが管理しているのだから……そうでしょう」 何なんだよ、このプレッシャー……。 サザエさんのお袋さんのおフネさんは、マスオさんにもっと優しいじゃねえか。 まさかこの先、毎日の帰宅の挨拶に加えて、給料日イベントが加わるんじゃ……。 だけど、あやせと結婚できたんだから、これしきのこと我慢しなけりゃいけねえよな。 頑張って仕事して給料も上がれば、俺もアパートくらい借りられるようになるだろうし。 「京介さん、そろそろお夕食にしましょうか」 「は、はい。……それでは、僕は着替えてから食堂へ参ります」 あやせとの夢のような新婚生活を期待していた俺が甘かった。 それもこれも、俺に甲斐性がねえのが原因だから文句も言えねえけど。 俺の救いは、今も変わらぬあやせの天使のような笑顔と……言わせんな恥ずかしい。 あやせと結婚してから、三年目が経過しようとしていたある日のことだ。 俺はマスオさん生活にも慣れ、会社での仕事もようやく軌道に乗ってきたというのに……。 いつものように仕事を終えて夕飯の買物をしてから帰宅すると、あやせは家にいなかった。 散歩にでも出掛けているんだろうと軽く考え、お義母さんの執務室をノックしてみると、 お義母さんも部屋にはいなかった。 議員を務めているお義父さんは、地方視察で帰宅は深夜になると聞いていたから、 そのとき家にいたのは俺だけだった。 「……メモくらい、置いて行ってくれてもいいじゃねえか」 俺は着替えを済ませてから日課になっている風呂掃除を終えると、 リビングのソファーに座って、ひとり缶ビールを飲んでいた。 普段なら夕飯前にビールを飲むことなんかねえけど、なんだか無性に腹が立ってきたんだ。 いくら安月給とはいえ、俺は一日も休むことなく会社勤めしてんだよ。 それなのにこの家の女共ときたら、お義母さんは県政モニターとかで年中家を開けるし、 あやせだって料理を作ってくれたのなんか、最初の一年目だけじゃねえか。 俺は、この家の住込みのメイドさんじゃねーよっ。 二人が帰宅したのは、俺が三本目の缶ビールを飲み干したときだった。 お義母さんは、リビングのソファーで缶ビールを飲んでいた俺を一瞥すると、 鼻で笑って自分の部屋へと引き揚げて行った。 あやせは哀しそうな眼差しで俺を見つめ、無言のまま俺の側に寄ってきた。 「あやせ、俺になんか用でもあんのかよ」 「…………お兄さん、あまり飲み過ぎると、身体に毒だと思いますよ」 「そりゃあ悪うござんしたねっ。……どーせ俺は、この家の使用人でござんすよ。 俺が身体を壊したら、風呂掃除も料理も、てめえらでやらなくちゃなんねーってか」 「お兄さん、わたしはそんなつもりで言ったんじゃあ……」 分かってはいた。あやせがそんなヤツじゃないってことはな。 すべては、あのクソババアの差し金だった。 俺とあやせが仲良くしていると、決まってあのクソババアは俺に用事を言いつけた。 同じことが何度も繰り返されりゃあ、いくらあやせだって母親に遠慮しちまうよ。 俺はその日、あやせの家を飛び出して実家へ帰った。 結婚して以来、俺はあやせの両親に遠慮して、一度も実家へ帰ったことがなかった。 まだ若いからと、あやせとの結婚に反対した親父やお袋に合わせる顔もなかったし、 何よりも妹の桐乃に会うのが怖かった。 桐乃から、一番の親友だったあやせを奪っちまったのは俺だもんな。 そんな俺を桐乃がどう思っているかなんて、想像するだけでも怖かった。 しかし、それらはすべて俺の杞憂に過ぎなかったと、帰ってみて初めて分かったよ。 あやせの家を飛び出してきた俺を、親父もお袋も温かく迎え入れてくれたんだ。 ちょうど夕飯時で、俺はお袋に急かされるままに手を洗い食卓についた。 久しぶりに食べるお袋のカレーは死ぬほど美味かったよ。 親父は相変わらずの無口だったが、晩酌をする口元が緩んでいたのが印象的だった。 俺が最も恐れていた桐乃は終始無言のまま、黙々とカレーを口に運ぶだけだった。 結局、帰宅してから夕飯が終わるまで、俺と桐乃が会話を交わすことは一切なかった。 仕方なく食器を流しに置いて、俺は荷物を持って自分の部屋へと階段を上がった。 俺は自分の部屋のドアを開けた瞬間、その場に立ち尽くした。 なぜかって、俺がこの家を出たときと、何一つ変わっちゃいなかったからさ。 綺麗に掃除はされてたけど、俺が残していったものはすべてそのままになっていた。 この部屋は俺が出て行ったときから、時間が止まってたんじゃねえかと思うほどだった。 すぐに俺は階段を駆け下りると、キッチンで洗い物をしていたお袋に礼を言った。 しかし、お袋の返答は、俺の予想を遥かに超えるものだった。 「京介、あんたの部屋はね、桐乃が誰にも触らせなかったのよ。 母親のわたしにもね。……あんたの部屋には、誰も入れさせないといって聞かなかったの。 そうじゃなかったら、今頃はとっくに物置になってたわ」 俺は溢れ出る涙を拭うこともなく、階段を駆け上がると桐乃の部屋のドアをノックした。 しばらくすると静かにドアが開かれ、不機嫌そうに桐乃が顔を出した。 喉元まで言葉が出掛かってるのに、久しぶりに桐乃の声が聞けるってのに…… 「……桐乃……ありがとな。俺……俺さぁ……」 桐乃は不機嫌そうな顔を作るのにも限界がきたらしく、頬をひくつかせながら俺に言った。 「お、お帰りなさい……バカ兄貴」 「……ああ……ただいま」 実家へ戻った日の夜、俺は久しぶりに自分の部屋のベッドで眠った。 翌朝、俺は数年ぶりにお袋に起こされて目が覚めた。 眠気まなこで周囲を見回すと、そこは永年住み慣れた懐かしい俺の部屋だった。 机の位置も、洋服ダンスの位置も、何もかもが俺の記憶通りだ。 只ひとつ違うことと言えば、カレンダーだけが新しいものに架け替えられている。 カレンダーに描かれた絵を見りゃ、誰がやってくれたかなんてすぐに分かる。 俺が家を空けていた数年の間、あいつは毎月この部屋に来ては一枚ずつカレンダーを捲って、 そして捨てていたんだろう。……いつ帰るとも分からねえ、そんなバカ兄貴のためにな。 「ところで京介、あんた会社はどうするの? 新しいところでも探すつもり?」 お袋の言うことはもっともだった。 いま勤めている会社は、元はと言えばあやせの親父さんのコネで入社できたんだしな。 今更どんな言い訳をしたところで、俺は新垣の家を飛び出して実家に帰っちまったんだから、 お義父さんだって内心穏やかじゃねえだろう。 「取りあえず出勤はするよ。無断欠勤なんかしたら信用を無くしちまうからな。 それに、取引先のお客さんにも迷惑を掛けたくねえし」 「京介が就活のとき着ていたスーツなら、クリーニングに出してタンスに入れてあるから、 今日はそれを着て行きなさい。……ワイシャツなんかもタンスの中にあるわ。 ……京介、あとで桐乃に、ちゃんとお礼を言っときなさいよ。 あんたがいない間に、桐乃が全部やっといてくれたんだからね」 そのことについては、昨夜寝る前にタンスを開けて分かっていた。 俺がいない間、桐乃がこの部屋に誰も入れさせなかったとお袋から聞いて、 誰がここまでやってくれていたかなんてな。 「ねぇ、京介。……あんた、あやせちゃんと結婚するよりも、 桐乃と結婚した方が良かったんじゃないの?」 笑えなかった。なんたって、俺も今、お袋と同じことを考えていたからさ。 それにしても、桐乃はなぜ俺のためにここまでしてくれるんだろう。 家族として一緒に暮らしていたときは、ことあるごと俺を邪険にしていたのにな。 離れて暮らしていたからなのか、それとも桐乃のヤツ……。 いつもより早めに会社に出勤すると、俺は早速社長に呼ばれた。 あやせのお袋さんが手を回したらしく、今回の一件は既に社長の耳にも入っていた。 俺は当然クビになるもんだと覚悟を決めていたが、社長は笑って不問に付してくれた。 会社に迷惑を掛けたならともかく、家庭の事情で社員をクビにしていたら、 零細企業なんか簡単に潰れちまうんだとさ。 それに、俺は唯一の総合職だし、今じゃ取引先からもご指名を頂戴するほどだ。 この会社の将来は、俺の双肩に掛かっているようなもんなんだと。 ざまあみやがれってんだよクソババア。 旦那が議員だか何だか知らねえが、てめえは只のクソババアじゃねえか。 あやせを産んでくれたことに感謝しちゃあいるけど、それ以外はクソババアなんだよ。 通販で化粧品を買い漁りやがって、その金だって元はと言えば市民の税金じゃねえか。 旦那は私利私欲もなく、地元のために尽くしているっていうのによ。 なーんてな。……それにしても、クビにならなくて本当に良かったよ。 だが、俺もこのままじゃいけないことくらい分かってはいる。 感情に任せて嫁さんの家を飛び出しちまうなんて、男のやることじゃねえよな。 あやせのことは今も愛しているし、俺がお義母さんの言いつけに従ってさえいれば……。 情けなくて涙が出るよ。こんな筈じゃあなかったのにってな。 午前中の得意先回りを済ませて公園のベンチでアンパンをかじっていると、 俺の携帯の着メロが鳴った。着メロからあやせだってすぐに分かったよ。 たった一日声を聞いていないだけなのに、その声には妙な懐かしさがあった。 しかし、あやせの声にどこか切羽詰っているような重苦しい雰囲気を感じ取って、 何となくいやな予感がしたんだ。 『お兄さんですか? あやせです……』 「……昨日は、すまねえことしちまったな。 おまえに何も言わずに家を飛び出すなんて、俺らしくもねえよな」 『いいえ、そのことはいいんです。 あの……今日会社が終わったら、家に来るようにと……母が申しています』 「………………分かった。今日は定時で上がれると思うから、まっすぐに行くよ」 俺はあやせとの電話を切ってから、牛乳と一緒にアンパンを飲み込んだ。 あのクソババアが今更俺に用なんて、大体想像がつくけどな。 その日は仕事を定時で切り上げ、憂鬱な気分であやせの家へと向かった。 応接室のテーブルを挟んで、俺とお義母さんとの間には重苦しい空気が漂っていた。 目の前に突きつけられた離婚届から眼を逸らし、俺はただ黙って床を見つめる。 「京介さん、私もね、別に暇を持て余しているわけではないのよ。 いつまでも黙っていないで、さっさと離婚届にサインをしてもらえないかしら。 そもそも私はね、あなたたちの結婚には反対だったのよ。 初めから、あなたが新垣家の人間として相応しいとも思えなかったしね」 口元に薄ら笑いを浮かべたクソババアに対して、俺は何の反論もできなかった。 就職にしろ、あやせとの生活にしろ、何もかも新垣家に世話になっている俺には 反論する余地なんかひとつもありゃしねえ。 俺はただ言われるままに、目の前の離婚届にサインをするしかねえんだろう。 テーブルに置かれた万年筆を無視し、俺は胸ポケットからボールペンを取り出すと、 離婚届の夫の欄に自分の名前を書こうと身を乗り出した。 まさにそのとき、応接室の扉が勢いよく開き、あやせが血相を変えて入ってきた。 「お兄さんっ! 本当にサインをするつもりですかっ!? わたしは、お兄さんと別れたくなんかありません、そんなのいやですっ!」 あやせの澄んだ綺麗な瞳からは、大粒の涙が溢れ出ていた。 しかし、今のような甲斐性のない俺には、あやせの母親に逆らってまでして あやせとの結婚生活を続けることは困難だって目に見えている。 「あやせ、分かってくれ……。 今の俺には、おまえに洋服のひとつも満足に買ってやれねえ。 お義母さんのおっしゃるように、こうするのが一番――」 「お兄さん、わたしはそんな贅沢なことは望んではいません。 わたしが望むことは、いつもお兄さんがわたしの側にいてくれる、それだけなんです」 あやせのうそ偽りのない台詞を聞いて、俺の心は決まった。 やはり、裏で糸を引いていたのは、目の前のクソババアだったんじゃねえか。 俺はあやせをしっかりと抱き締めると、クソババアを思いっきり睨みつけてやった。 クソババアは憤怒の表情で立ち上がると仁王立ちになり、見る見ると膨らんでいった。 膨張するクソババアに俺とあやせは部屋の隅まで追い詰められ、 俺たちの運命もこれまでかと諦めかけた矢先、クソババアは大音響と共に爆発した。 俺は額にびっしょりと汗を浮かべ、肩で荒い息を吐きながら辺りを見回した。 悪夢っていうモンは、いつなんどき見るか分かったモンじゃねえよ。 座ったまま眠るとロクな夢を見ないって、いつだったか誰かに聞いたことがある。 見回せばいつもの部屋、いつもの家具、まったく変わり映えのない風景だ。 そして、俺がもっとも心安らぐいつもの…… 「お兄さん、それじゃあわたしは、お夕食のお買物に行って来ますから。 ……今日は、何か食べたいものとかありますか?」 台所で洗い物を済ませたあやせは、天使のような笑顔で俺にそう訊くと、 はにかみながらエプロンの裾で濡れた手を拭っている。 「あやせの好きなモンでいいよ。……ツワリが、まだ重いんだろ? ところでさぁ、俺たちは結婚してから三年にもなるんじゃねえか、そうだろ。 いつまでも“お兄さん”って呼び方はおかしいんじゃねえのか?」 「そっ、そうですよね。……わたしたちは、もう誰が見ても夫婦なんですものね。 じゃ、じゃあ……あ、あなた――」 照れくさいのか、今にも消え入りそうな小さな声だった。 だけど、結婚して以来、あやせが俺のことを初めて“あなた”と呼んでくれた。 天にも昇る気分っていうのは、まさにこのことだと思ったね。 俺はこのまま天に召されようと地獄に落ちようと後悔はしねえ。 嗚呼いとしのラブリーマイエンジェルあやせたん。 西日の当たる六畳一間の和室、カセット式ガスコンロしかねえ小さなキッチン。 他にはトイレとユニットバスだけの、本当に安普請で小汚い小さなアパートだ。 電車が通過するたびに、地震かと思うほどアパート全体が激しく揺れる。 しかし、俺とあやせにとっては、これ以上望むべくもない愛の巣だ。 あやせとの結婚を目前にしていたあの頃、俺は憂鬱な日々を送っていた。 いわゆるマリッジブルーっていうものなんだろうな。 ずっと想い続けたあやせと結婚できるんだ、そう自分自身に言い聞かせていたんだ。 「お兄さん、トイレなんか共同でもいいじゃないですか。 お風呂だって三日に一度くらい銭湯に行かせてもらえれば、それで十分です」 あやせは当初、俺の安月給を慮ってそう言ってくれたんだろうが、 幾ら甲斐性のない俺でも、あやせにそんな惨めな思いはさせられねえだろ。 潔癖症のあやせが、風呂を三日に一度なんて耐えられるわけがねえ。 俺は死に物狂いで不動産屋を駆けずり回って、ようやく今のアパートを見つけた。 新婚生活が、こんな惨めなアパートからスタートするなんて夢にも思わなかったよ。 それでもあやせは、だるまクレンザーで台所の錆を落としたり、 すっかり日に焼けて変色しちまった畳に何度も雑巾を掛けてくれた。 あんなに綺麗だったあやせの手にアカギレを見つけたときは、俺は心底哀しかった。 「あやせ、幾ら拭いたって、それ以上は綺麗になんねえよ。 ……あとは俺がやっておくから、あやせは少し休んでいてくれ、な」 「お兄さんに、水仕事なんかさせられませんって。 これは妻であるわたしの役目なんですから。お兄さんこそ休んでいてください」 あやせはバケツで丁寧に雑巾をすすぐと、笑顔でまた畳を拭きだした。 その様子を部屋の隅で見ていた俺は、なぜだか涙が溢れて止まらなかった。 あやせがなぜ俺なんかと結婚してくれたかなんて、今更語るのも野暮ってモンだし、 それに正直言って俺自身も良く分からなかった。 それはそうとして、俺たちに待望の赤ちゃんができた。 あやせはエプロンを丁寧にたたみ、卓袱台の上にそっと置くと、 お腹に優しく手を当てながら俺を見つめてまた笑った。 「あなた、この前の検診のときに、桐乃に会ったんです。 桐乃の赤ちゃんも順調だって聞いて、わたしも嬉しくなっちゃって……。 生まれるのは二人ともまだまだ先のことなのに……ついベビー用品のお店へ行って、 二人であれこれ見てきたんですよ」 桐乃が結婚したのは今年の春だった。 大学を卒業するのを待って、結婚式を挙げたわけだが…… どう計算しても“できちゃった結婚”じゃねえか、ったく桐乃のヤツ……。 桐乃が俺に結婚すると告げてきたとき、正直言って俺は複雑な気持ちだった。 俺が桐乃を置いて家を飛び出し、勝手にあやせと結婚しちまったことは、 長い間お互いの心にわだかまりを残した。 しかし、結婚式の当日、花嫁衣裳の桐乃が俺に向かって言ったひと言が、 俺たちの間にあったわだかまりを消し去ってくれた。 「兄貴、長い間ありがとね。……これからも、ずっとあたしの兄貴でいてね」 桐乃は、世界で一番可愛い俺の妹だよ。 どこに出したって恥ずかしくねえ、最高の妹だ。 その桐乃が選んだ相手も最高のヤツだった。 俺と同い年だってのに、今や宝飾デザインの世界では知らねえ者はいないらしい。 見た目は頼りねえが、あいつならきっと桐乃を幸せにしてくれる。 それに比べて俺は……。 子供が生まれたら、いくらなんでもこの部屋じゃあ狭過ぎるよな。 せめて、もう一部屋は欲しいところだ。 「ところであなた、桐乃があなたのこと、とても心配していましたよ。 ……あのバカ兄貴、もしかしたら無理してるんじゃないかって。 わたしも、最近あなたが働き過ぎじゃないかって、とても心配なんです」 「そんなことねえって、誰だってこれくらい働いてるさ。 俺、もっと頑張って働いて、もうちっとマシなアパート見つけっから、な」 「あなた、わたしはそんな贅沢なことは望んではいません。 わたしが望むことは、いつもあなたがわたしの側にいてくれる、それだけなんです」 どこかで聞いたことのある台詞だったが、そんなことはどうでもよかった。 俺はあやせの笑顔が見られるなら、それだけで頑張ることができるんだ。 最近は仕事が忙しく、残業続きで疲れが溜まっているのは自分でも分かるんだがな。 「あっ、俺も買いたいモンがあるから、あやせと一緒に行くよっ」 「……あなた、言ってくだされば、わたしがついでに買ってきますけど」 「あやせのお腹の中には、俺たちの大切な赤ちゃんがいるんだからよぉ、 俺だっておまえのことが心配でしょうがねえんだ、察してくれよ。 すぐに支度すっから、ちっとばかし待っててくれ、な」 そう言って、俺は腰掛けていたドリームラブチェアから立ち上がった。 しかし、立ち上がった途端に血の気が引くような感覚に襲われ、 すぐにそれは急激な落下感へと変わった。 奈落の底へ突き落とされたような暗闇の中、全身を伝わる激しい痛み。 まさか、働き詰めの俺の身体に、何か異変が―― あと数ヶ月で、俺とあやせの赤ちゃんがこの世に生まれて来るんだ。 俺はまだ、死ぬわけにはいかねえんだよ。 もっともっと働いて、あやせと生まれて来る子供を幸せにしてやらなくちゃ。 近くで俺を呼ぶ声が聞こえる。……俺は、一体どうなっちまうんだ? くそう、身体が動かねぇ……。 「きょうちゃんっ、だいじょうぶ~?」 「高坂っ、おまえ何やってんだ? 新学期だってのに寝ぼけてんじゃねーよ。 春眠暁を覚えずってやつか? このぶぁーか」 俺は上半身を引き起こし、痛む肘や腰を摩りながら辺りを見回した。 そこには、すぐ後ろの席で心配そうな顔つきで俺を覗き込む麻奈実と、 前の席で腹を抱えて爆笑している赤城がいた。 一瞬にして現実に引き戻された俺。 三年生に進級し、幼馴染の麻奈実と親友の赤城とは、また同じクラスになった。 新学期が始まって最初の授業だってのに、いきなり自習になるとはな。 教室の窓際の席に座っていた俺は、春のうららかな陽射しに照らされ、 校庭に咲く桜を眺めているうちに居眠りをしちまったらしい。 それにしてもあやせのヤツ、夢の中でまで俺を弄びやがって…… 待ってろよっ! ラブリーマイエンジェルあやせたん! おまえとの結婚だけは、いつの日かきっと正夢にしてやるぜ。 俺は椅子に手を突いて立ち上がり、赤城に向かって不敵な笑みを浮かべてやった。 赤城は机をガタガタと揺らしながら、最近映画で見たっていう“あしたのジョー”の “丹下段平”の台詞を大声で叫んでいる。 しかし、この場をどう繕うかで頭が一杯の俺には、そんな赤城に付き合っている暇はねえ。 取りあえず、あやせの方は今度デートに誘って、一言文句を言ってやるしかねえだろ。 ふと、教室の窓から外を見下ろすと、一匹の黒猫が校庭を駆け抜けて行くのが見えた。 (完)